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大石晶教(雅美)氏・萱野正己氏・入江富美子氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

 

こんにちは

クローバーです^^

 

今回は大石晶教(雅美)氏・萱野正己氏・入江富美子氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^

 

【目次】

 

 

 

大石晶教(雅美)氏の名言・格言集

・祖母(大石順教)はこの地球上に原因がないことはまずないと言っていました。だから、自分が両腕を斬られて生き残ったのにも原因があると。

そして、もし生まれ変わるとしても両腕はいらないとも言っています。何十年も両腕のない苦労をしてきて、次に両腕のある苦労するのはかなわんって。

 

・(木村)武山さんって横山大観とも並ぶすごい日本画家でしたけど、六十歳の時に脳梗塞で右半身がダメになってしまった。

祖母(大石順教)は嘆き悲しんでいる武山さんのところに押しかけて、目の前で口に筆を執って書を書き、すべて物事は信念一つにある、先生はまだ左手が残っているではありませんかって言うたわけです。

 

・祖母(大石順教)は、企画力にも長けていました。単なる企画力ではなくて、自分はこうなりたいと見極めて動いてきた人生の企画者って私は思う。

 

・(大石順教は)とにかくマイナスをプラスに考える人でしたね。漫才なんかも好きで、手のない自分と目の見えない人とどっちが得かという問答を著書に思い白おかしく書いたり。

 

・順教尼が両腕を失った後、母親に連れられて銭湯に行くと、皆が面白がって見に来るんです。銭湯の主人は二人にあんたを見に人が大勢来て繁盛するからお金は要らないって言う。本人も辛かったけど、母親の心は張り裂けんばかりでね。

それ以来、母親は順教尼を銭湯には連れて行かず、家でタライ湯に浸からせてくれた。

順教尼は母親のその恩を忘れたらいかんというので、終生入浴する時には湯船に入る前にタライの中で入浴していたんです。

 

・作家の吉川英治先生は、忍という字を使えるのは順教尼先生だけだとおっしゃったそうです。

 

・祖母(大石順教は幼い頃に母親の話を聞いて梅を愛するようになったんです。

梅という花は冷たい風にも重い雪にも堪え忍び、春の初めに花を咲かせて多くの人を楽しませ、花は実となって人々の生命を繋ぐ。

おまえも梅の花のように、辛いことも悲しいことも堪え忍んで清く、美しい心ばえの人となりなさい。そして老いても梅干しのように人様のお役に立つようにと。

 

・(大石順教は)戦争で手や足を失った方たちを随分励まして回っていましたね。私は手がないけど口で書く。おまえさんたちもしっかりせいって。

だから自衛隊が(順教尼の)お葬式を主催するって話もあったんです。

 

・祖母(大石順教)は身障者でありながら強く生きましたけど、そこに留まらず、文化的、芸術的な面でも大きな花を咲かせました。そこが順教尼の一番すごいところだと私は思うんです。

身障者が口で描いた作品だから注目されるのではなく、純粋に多くの人から愛される作品を追求していました。

 

 

 

萱野正己氏のの名言・格言集

・順教尼の赦しの心については、記念館に来られる外国の方もとても興味を持たれます。どこかにそういう赦しの心がないと、テロは撲滅できないと。

そういう点で、順教尼は国内よりも海外で結構有名なんです。

 

・(順教尼は)人に気持ちよく動いてもらうには、時や間を感じ、角度を変えて考えろって。そういう習慣を身に付けていると、どんな組織でも役に立つんですよ。

 

・継続は力ですわ。人間死に物狂いでやったらここまでの神技を発揮するまでになる。その(順教尼の)根底には、自分と一緒に斬られて命を落とされた五人の方への鎮魂の思いがあったんです。

 

・学校へ行っていない順教尼は活字に飢えとったんだと思う。知識欲があの人の向上心というか、強い内発力の源になっていたのと違うかなぁ。

 

・(順教尼は)おそらく立派な人の前でも卑屈な態度は取らなかったと思う。やっぱり自然体ですわ。

だから言いたいことは言えた。木村武山に会いに行った時もそうですよ。

 

・僕は順教尼の短い言葉に心を動かされるんですよ。例えば「三昧」。この間(大石順教尼の)記念館に来られた大工の棟梁は、大工三昧に歩んできた自分の心が、「三昧」という字を通じで順教さんと一つになれたと言って目を潤ませておりましたわ。

 

・(順教尼は)相手を変えるのではなく、自分を変えた方ですわ。僕も親父から聞いたことがあります。自分を変えたら周りも変わるって大石(順教)先生はおっしゃっていると。

 

・順教尼の足跡を振り返ってみると、チャレンジの連続の人生だったと言えるでしょう。「何事も為せばなるちょう言の葉を胸に刻みて生きてきた我」とも詠んでいるけれども、理不尽な環境を変えようとするのではなく、為せば成ると自分を変えながら歩み続けた。

そういう生き方を貫くところからものすごいパワーが生まれた。まさしく内発力の源になったんだと思います。

 

・やっぱり人から受けたご恩に報いたいという思いが、順教尼を内から突き動かす一番になっていると思う。

何しろ、朝起きた時からもう人の手を借りないといかんでしょう。そういう生活が何十年と続いたわけやから、口ではいちいち言わなくても、内に秘めたる感謝の念、報恩の思いというのはものすごいエネルギーになっていたと僕も思う。

 

 

 

入江富美子氏の名言・格言集

・自分の両腕を斬った相手を赦すなんて私にはとてもできませんが、それをできた日本人がいたことを伝えることならできる。

このお話は絶対いまの時代に伝えなければならないと強く思って、(大石順教尼の)映画をつくったんです。

 

・順教尼先生の中に、神とか仏を超える親の恩とか師の恩というものがあって、赦さずにはおられない衝動が発動したんじゃないだろうかなと。人間にはそういう善い心が元々あって、条件さえ揃えば発動すると思うんです。

だからいまの人も、順教尼先生を知ってこんな生き方をしたいと思うと、そのスイッチが入るのではないでしょうか。

 

・自分が何かやってほしくても、相手を感じずに忙しい時に言ってもお互いよくない。だからその人が「いいよ」って言える状況の時に伝えれば、お互いが気持ちよくいられるんだと。

 

・藤村僧正は順教尼先生に対して、おまえはおまえのままの真実の一字を生み出さねばならぬと説かれたんですね。私はこの話がすごく好きなんです。

 

・苦労は貧乏生活の中でも、「身体の障がいは仕方がないけれど、心の障がい者になってはならないよ」など、(中川)万次郎さんの教えをもとに(順教尼は)誇りを持って生きておられたようですね。

 

・お弟子さんが、順教尼先生がお風呂上りに着るものを度々用意し忘れた時に、先生は真っ裸でヨイヨイヨイって踊りながら出てこられたので、お弟子さんは以後気をつけますからどうかご勘弁くださいって(笑)

 

・(自分の葬式の)最後に、「皆さん、きょうはお越しくださってありがとうございます。私は天国にも地獄にも行かず、三途の川で皆さんの橋渡しのお手伝いをさせてもらいます。ではそのたびはお急ぎにならずに。ほな、さいなら」という順教尼先生の声が流れて、皆さんびっくりなさったそうですね。

 

・私は忍という字が苦手だったんですけど、順教尼先生のお話に触れて、忍って前向きな挑戦なんだって思うようになりました。

我慢っていうと人にさせられているようで辛いけど、このことが必ず自分の思いを超えた最善に繋がっているんだと確信し、希望を持って堪え忍ぶこと。

そうやってどんなことも喜びにしていくことを意味するとしたら、私も忍という字を心に抱いて生きようと。

 

・私が一番(順教尼に)影響を受けたのは「禍福一如」という言葉です。

以前の私は物事を悪いほうに、辛いほうにとってしまう性分でしたけど、順教尼先生のこの言葉を通してよいことも悪いことも自分の心一つだよと教えられました。

 

・自分のことを否定すると、自分に関わってくださる人まで否定することになるんですね。自分がダメってことは親や先祖もダメにすることになる。

でも自分を大切なものとして受け入れた時、親も先祖も全員尊い存在になる。自分がどう見るかによって、この世は一変すると(順教尼に)気付かされたんです。

 

・(順教尼)先生をお手本に、いかにして面白がるか、どうやったら喜べるかっていう姿勢で物事に向き合うようになったら、人生は面白いことだらけになりました。

 

・順教尼先生は人のせいにしなかった方ですよね。あの人がこうしたから、こういうことがあったから私がこうなったというのではなくて、自分がそれをどう受け止めるかなんだと。

 

・自分が感じた恩や感謝を、いま生きている私たちが言葉なり芸術なり、あるいは掃除でも散歩でも、自分らしく自分ならではのものを何かしらの形で表現する。

それが人の心に喜びを生み、それによってまた自分の内から力が湧き上がって循環していくと思うんです。

 

・順教尼先生の内発力の源は、おかげさまの力だと私は思っています。順教尼先生には、天とか仏、それから自分に関わりあったすべての方々に至るまで、自分を生かしてくれているすべての存在に対する報恩の念が常にあったのではないでしょうか。

 

・やっぱり独力で生きてきた時より、ご先祖様とか、お天道様とか、そういう目に見えない存在が見てくれている、至らない自分だけど守られていると自覚して、それに報いていこうとする時が一番幸せだし、一番内発力が湧き上がってくるように私は思います。