こんにちは
クローバーです^^
今回は井上康生氏・村井温氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^
【目次】
井上康生氏の名言・格言集
・私の父は警察官であり、柔道家でもありました。その父が柔道をする姿勢といいますか、背中を見た時に、「かっこいいな」と思って柔道を始めたんです。
振り返っても柔道の好きで好きでしょうかない子供だったと思います。やはり柔道で強くなりたい、負けたくない、大会で優勝したい、究極の目標としてオリンピックで金メダルを取りたいという思いが強い子供でした。
・(小学校高学年、中学生の頃)「強くなるために何でも耐えるから遠慮せず指導してくれ」と、父にお願いしたんですね。すると本当に次の日から父の目の色が変わって、道場での接し方も変わって・・・。
「お願いしたのは失敗だったな」と思うくらいに厳しくなりました(笑)
・小学校高学年の頃から普通に何本かランニングした後に、近くの公園にある百五十段くらいの石段を七十五キロ以上ある父をおんぶして往復していました。
五往復しろと言われれば六往復しよう、人よりも一本でも二本でも多くやりたい、そうしなければ強くなれないと思っていました。
・私にとって大きかったのは恩師の山下泰裕先生の存在です。中学を卒業後、私は東海大学付属相模高校に進学したのですが、その選択には山下先生への憧れがありました。
・(小さい頃にチャンピオンになり、その後活躍しない人が多いのは)小学生や中学生の時に練習や技術をあまりに詰め込み過ぎて途中で燃え尽きてしまう。あるいはその場その場の試合で勝つための柔道を覚えてしまったことで伸びしろがなくなってしまう、ということが考えられるのではないかとおもいます。
・高校三年生のインターハイでは、神奈川県の県予選で判定で敗れ二位になってしまいました。それで、泣きながら応援席にいた母のもとに賞状を持っていったら、母は賞状を奪い取ってびりびりに破り捨てたのです。
その時、「あなたに二位は似合わない。負けても胸を張っておきなさい。この悔しさを次のエネルギーに変えて頑張りなさい」と言われ、その言葉に非常に衝撃を受けました。
・私は三人兄弟の三男に生まれたこともあって、子供の頃から非常に甘えん坊でした。(中略)勝負師としての甘い部分、弱さがありました。
それが、母が亡くなったことよって、本当の意味で自分自身を見つめ直す時間を持つことができたのです。
・母は私の弱さを見抜いていて、「この子にはもっと厳しい試練を与えなければだめだ」と、自らの命を投げ出すことで、私に魂というか力をプレゼントしてくれたのではないかと信じています。
・(シドニー五輪の表彰式で母の遺影を掲げたことに対して)本当は表彰台にガラスなどの危険物を持ち込むことは禁止されていました。私も当時はそのルールを熟知していなかったのですが、選手の誘導係の人が母と同じくらいの年齢のオーストラリアの方で私が遺影を持っているのを見て「この写真の人はあなたの母親なの?そうならお腹のところに隠していきなさい。私は見て見ぬふりするから」と言ってそのまま通してくれたのです。
・二〇一二年に(男子柔道日本代表の)監督の打診があったとのですが、まさか自分に来るとは全く思っておらず、ただただ驚きでした。しかし、その前に行われたロンドンオリンピックで、日本男子金メダルゼロに終わってしまったことへの悔しさもあり、ここで自分が立ち上がって柔道界を立て直したい、二〇一六年のリオオリンピックでリベンジしたい、との強い覚悟で監督を引き受けたのです。
・(日本男子柔道史上初の前七階級金メダル獲得に対して)選手たちが自分は柔道界、日本国民の期待を背負っているのだという、日本の代表としての自覚と誇りを持って戦った結果だと思います。
私が選手たちによく伝えていたことも、たとえ体がボロボロになろうが、オリンピックの戦いはもちろん、そこまでの過程においても苦しいことや辛いことも投げ出さずに挑み、最後まで日本代表であるという自覚を持って戦い続けることの大切さでした。
・選手一人ひとりと話し合ってみると、皆金メダルを獲りたいというのです。ですから、私は監督としてまずその思いを信じてあげたい。信じてあげることによって選手との信頼関係も生まれてくるのではないかと思います。
・ただ単に強いだけでは世界では勝っていけませんから、効率性、科学的な力も借りながら、細部の要素、技術をしっかり埋め、いかに隙なく緻密に戦っていける選手を育成していくかということも大事にしています。
・「プロの条件」という本をいただいたのですが、その中に仕事を成就するために欠かせないものとして「熱意」「誠意」「創意」という三つの言葉が紹介されていて、まさしくそのとおりだと思いました。
以来、選手や柔道教室などでもその三つの言葉の大切さを伝えてきました。
・監督としても、掲げた目標に対して「こんなもんでいいや」という中途半端な目標ではなく、何が何でも達成するのだという「熱意」を示すことが大事だと思いますし、また、周りの協力なくして成功はないと思っていますので、相手に対しての信頼や敬意といった「誠意」も忘れてはいけません。
そして、考えたり、想像したりする「創意」がなければ、掲げた目標や夢も達成できません。「創意」の源は何かというと知識力だと考えているので、指導者として常に学び続ける心を忘れてないでいたいと強く思っています。
・大事にしてきたのは覚悟を持つことです。オリンピックほど生きがい、やりがいを感じられる場はありませんが、一方でその過程においては、苦しいことや辛いことの連続であり、様々な犠牲を払わなくてはなりません。
そういう中では、人間そこまで強い存在ではないので、本当の意味で覚悟を持たなければ、どうしても挫折したり、諦めたりということになってきます。ですから、監督になった時に、選手やスタッフたちにも、「覚悟を決めよう」という話を最初にしました。
・スポーツ社会で目上の人に敬意を払うことは絶対必要です。しかし、最終的に戦うのは選手ですから、本来は彼ら自身が自覚と意識を高く持って戦える指導法を考えていかなくてはいけません。
・日々選手と向き合う中で、逆に「あなたはどう思っているの?」と聞き返し、彼らの考えを引き出すような環境をつくったり、合宿の時に「自分はこういう練習がしたい」と言ってきた選手には、皆で統一しなければいけないところは統一しつつ、望むものを提供してあげる。あるいは合宿中に柔道とは異なる分野で活躍している方に講義してもらう、他のスポーツを経験してもらうといったことも実践してきました。
・スポーツの指導者においても、求められる細かな要素はいろいろあるのですが、私はいかに指導者、自分自身が信念を曲げないかが大切だと思ってきました。
その私の信念には、成功するための方法を考え抜くこと、周りの人たちに協力してもらいながら前に進んで行くこと、また、時代が流れている中で新しいものを取り入れていく柔軟性、変えてはならないものはしっかり守っていくことなど、すべてが含まれます。
村井温氏の名言・格言集
・警察庁では、採用されるとすぐ部下がつき、三年経つと警視になって県警本部の課長になりますが、私も二十代で部下が百人ほどいました。
そうすると、部下のほうが皆年上で、経験や知識も自分より遥かに優れているわけですが、その中で仕事をしていくためには、自分が優れているということを見せようとするのではなく、どうやってそれぞれの人の仕事をしやすくするか、その人の適性に合った仕事をしてもらうかを考えながら、組織の目的を達成していくことが必要になってきます。
・私は侍と役人の家系ですから「名利を捨てて世のため人のために尽くす」ということは信条にしてきました。
あとは「臨済録」にある、いかなる場合でも主体性を持って力の限り行動すれば道は開けるということで、「随処に主となれば立処皆真なり」の言葉も大切にしてきました。本当は少し意味が違うらしいのですが。
・「善敗由己(ぜんぱいおのれによる)」という言葉。これは成功も失敗も自分によるという意味です。
しかし、言うは易しで、日々の仕事において失敗があるとつい自分のせいじゃないと考えてしまう。ですから、自分を律するためにも「善敗由己」の言葉はいつも腹の中に入れています。
・スポーツと違って、普通の企業や組織では全員が「ぜひこの会社で働きたい」と燃えて入社してくるわけではありません。ですから、そういう社員たちをどうやって持続的に燃え続けられる集団にして行くかが大事なのです。
・絶えずいろんなモチベーションを繰り返し与えながら、一人でも十人でもいいので少しずつ社員の意識、内発力を高めていき、それを会社の社風、組織の気風にまで育てる他ないということですね。
・世の中には社員の意識、やる気を高める方法が書かれたノウハウ本がたくさんありますが、やはり、根気強く、時間を掛けながらも着実に進めることで、初めて社員たちの自発性、内発力も出てくるというのが私の実感です。
・内発力があり、成長していく社員というのは、素直で何事でもよいほうに解釈していく明るい人です。どんなに優秀でも性格が暗かったら伸びませんね。
・それぞれの持ち味をうまく活かしていけることが、社員や組織の内発力を高める指導者の条件なのだと私は感じています。
・人間、いくら頭がよくても、またいい学校を出ても、本当の成功にはあまり関係ありません。やはり最後は本気でこれをやってやろうという強い意欲、内発力がない人には、人生を発展させていくことはできないと思っています。