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鍵山秀三郎氏・安岡定子氏・武村亞希子氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

 

こんにちは

クローバーです^^

 

今回は鍵山秀三郎氏・安岡定子氏・武村亞希子氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^

 

【目次】

 

 

 

鍵山秀三郎氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・私がトイレ掃除を始めたのは、昭和三十六年にカー用品販売のローヤル(現・イエローハット)を創業して間もない頃でした。まだ経営の基盤が脆弱で、社員に十分な労働環境を提供できない中、せめて職場を綺麗に掃除して、荒んでいる皆の心を少しでも穏やかにしたいと考えたからです。

 

・ある催しでトイレ掃除のお話を少しだけさせていただいたところ、経営についていろいろな課題を抱えておられた田中(義人)さんが一人がこれを真摯に受け止められ、すぐご自身の会社で実践されました。それに伴い、社員さんの心が穏やかになり、不良品が出なくなるなど、それまでに抱えれおられた問題が次々と解決し、会社が見違えるほどよくなったのです。

 

・掃除は意義や価値の低い作業であり、他に取り柄のない人がやるものだという認識が根強くあります。しかし、私は掃除が秘めている並々ならぬ不思議な力を発見し、今日まで欠かさず実践を続けてきました。私にとって掃除は、人生のすべてと言っても過言ではありません。

 

・私が勤めていた会社の厚遇を擲ってローヤルを創業したのは、志が低く、粗野な業界を変えたいという思いからでした。自転車一台の行商を始めた当初は、元同僚や部下であった人たちから散々揶揄され、家族にも随分心配を掛けましたが、この業界を変えるんだという私の信念は揺らぐことはありませんでした。

 

・創業時の当社にとり雲の上の存在だった同業者の中で、現在も経営が存続しているところは数少なくなりました。かつて勢いのあった会社が長続きしなかった半面、掃除に学ぶ会が二十五年も継続し、なお発展を続けていることを鑑みるに、物事に携わる人の思いや姿勢の大切さをつくづく実感させられます。

 

・私は、これからも掃除の実践を通じて人の心の荒みを少しでも和らげていくとともに、世のため、人のためという善意の輪を広げてまいりたいと願っているのです。

 

 

 

安岡定子氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・単に優秀であるとか、優れた技能を身につけることが優先されて、人の気持ちを察するとか、志を持つことの大切さが置き去りになっていることの危機感を抱いている親御さんが多いようです。そんな時に、たまたま『論語』の本を手にされたり、近所の子が論語塾に通っているという話を聞かれたりしたことがきっかけで論語塾に通せるようになられるケースもあります。

 

・「(論語塾に通う幼い子供たちに)周りの迷惑になるかならないかは自分で考えられる人になってください。私からは一切注意しません」とも言っています。もちろん個人差はあるのですが、一年くらい経つと走り回っていた子もきちんと座って話が聞けるようになります。

 

・祖父・安岡正篤は決して私たちを子ども扱いしませんでした。孫の私にも「定子さん」「あなたは」という呼び方をしていました。私が子供たちに人格ある一人の人間として接しているのもそういう影響があるのかもしれません。

 

・(田部井文雄先生に)「『論語』は学問としてやるのではなく人間模様として理解できるようになるといい」と繰り返しおっしゃった言葉に、私はとても大きな衝撃を受けました。

 

・(古典を教えるうえでどのようなことを心掛けているかと聞かれ)私には一つしかありません。謙虚であること、もう、それのみと言ってもいいと思います。

技術的な点で言えば、美しい日本語で発音、アクセントをきちんと伝えること、難しい古典の言葉を分かりやすく伝えることです。

 

・祖父(安岡正篤氏)も「幼いからといって幼稚ではない。知識や経験はないが、中身は豊かだ。だから小さい子に接する大人ほど上質でなくてはいけない」と幼児教育の大切さをよく話していました。

 

・孔子は、昔の人の考えや生き方を学び、これから取り組もうとしていることや、人間関係に生かしていける人こそ素晴らしいという意味でこの言葉(温故知新)を使っています。

 

・『論語』に求められているものは様々ですけど、一つ言えるのは、どう考えても苦難を取り除くことなどできないのが人生だということです。孔子ほどの人物でも長い不遇の時代があり、辛い思いもたくさん経験しているわけですから。

 

・祖父(安岡正篤氏)は「万象の悩みの答えが『論語』にはある」と言っていますが、何事か起きた時に乗り越えることができる、どん底にある時に取り乱すことなく、じんわりじんわりと心が癒されて立ち直ることができる。その力を与えてくれるのが古典なのだと思うんです。

 

・祖父(安岡正篤氏)は「人間、そんなに差なんかありゃせんわ」とよく言っていました。一人ひとりの能力に大きな差がないとしたら、困難にぶつかった時に一緒に乗り越えていく仲間がいる、喜びや感動を分かち合える人がいるというのもとても大事な要素かもしれませんね。

 

・若い人たちに(論語の中で)伝えたいと思うものをあえて選ぶとしたら最初は、

「教有て類なし」を挙げたいと思います。人間に生まれつきの上中下といった種類などというものはない。人はどれだけよき人物に出逢い、どれだけよい影響を受けたかによって、差が生じるという意味の章句です。

 

・「道に志し、徳に拠り、仁に依り、藝(げい)に游ぶ」

まず志を持つことが何よりも大切で、その志を遂げる時には、高い品性と正しい行いを忘れてはいけない。さらに思いやりや誠実さもなくてはいけない。その上で豊かな教養の世界を楽しむことが大切だ、という孔子の言葉です。

 

・人間力を高めようと思ったら、自分の周りにいるよき人物から学ぶことも大切だと感じています。その人物がどのようにして人間を磨き高めてきたかを考えれば、そこには、きっと古典があるでしょう。だとしたら自ずと古典に関心が向くと思います。そして最後はやはり読書習慣でしょう。

 

 

 

武村亞希子氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・『(高島嘉右衛門の)高島易断』はものすごく面白くて、のめり込むように読みました。いまでもこれ以上の本には出合っていません。

 

・空手家の南郷継正の『武道とは何か』という本と出合いました。その本を読むうちに、武道の上達論と龍の成長論が頭の中で化学反応を起こしました。私の『易経』の解説やリーダー論の基であり、易経を深読みできるようになったのは、この武道の本が出発、原点です。

 

・いまでもよく覚えているのが、企業のトップクラスが集る会で「先日専務になった人について何か『易経』を基に話してほしい」と求められ、「来年、昇格する」と言ったんですね(笑)。皆から笑われましたが、四か月後にその専務は本当に社長に昇格して驚かれました。私は易の卦をそのままお伝えしただけなのですが。

 

・これは『易経』に限りませんが、人生や仕事の答えは古典の中にあるのではなく、古典の教えを自分のものにした時に得られるというのが私の考えです。

大切なのは「化す」こと、化学反応を起こして自分のものにして実践することです。座学ではないのです。

 

・「我より童蒙に求むるにあらず。童蒙より我に求む」とあって、先生のほうから教えようとしてもそれは学びにはならない、生徒が「教えて欲しい、学びたい」という気持ちが起きた時に初めて学びになる。先生はそのお手伝いをするだけだと。生徒が知的好奇心を起こして学べば、生徒本来の力が引き出され、自分で考えるようになるといいます。

 

・「不遇な冬の時代は避けるべきものではなく、春を迎えるための準備期間」と前向きに捉えることができるようになるんですね。

それを『易経』では「冬の大地に習いなさい」という言い方をしています。また春に備えて豊かな土壌づくりをしなさいと。そう発想を転換すると、「楽天知命」という『易経』の言葉通りの不思議な安心感が生まれるのではないかと思います。

 

・「確乎としてそれを抜くべからざるは、潜龍(せんりゅう)なり」という易経の言葉を思い浮かべてました。「それ」とは志のこと。不遇な潜龍の時代こそしっかりと志を抱く。「すべては志に始まる」と教えています。潜龍の抱く志は、野心や野望とは異なり、社会に大きく貢献するための高い目標です。

 

・誰にも認められない、無視されるような冬の時代に志を打ち立ててこそ本物の龍として出発できるという「確乎不抜」は私が『易経』で最も好きな教えです。

 

・「平かなるものにして陂(かたむ)かざるはなし」(中略)調子のいい時こそ物事は必ず変化していくことを忘れるなという警告で、それを忘れなければ安泰を長く保てる。健全な危機感を保てという教えなんです。

 

・「世に善くして伐(ほこ)らず」という言葉を最後に挙げたいと思います。これは龍のように恵みの雨を降らせることができる人が、正しいことをしたから、あるいは世の中に役立つことをしたからといって、誇ってはいけないという戒めです。