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林南八氏(元トヨタ自動車技監)・土屋恵一郎氏(明治大学学長)の人間学やビジネスなどの名言・格言集

 

こんにちは

クローバーです^^

 

今回は林南八氏(元トヨタ自動車技監)・土屋恵一郎氏(明治大学学長)の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^

 

【目次】

 

 

 

林南八氏(元トヨタ自動車技監)の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・僕が製造課長の時、入社二年目の彼(トヨタの豊田章男社長)を一年間預かることになりました。昭和六十年(一九八五)年のことです。豊田章一社長(当時)の御子息とはいえ、特別扱いしてダメにしてはいけないと思ってね。「うんと叱られたことはあるか」と聞くと「ありません」と。「そうか。それは不幸なことだ。この一年間、幸せにしてやるから覚悟しておけ」というと「よろしくおねがいします」と返事した。実際、全く弱音も吐かなかったんです。大したもんですよ。

 

・いま心配なのはパワハラだとかセクハラだとか言って、「鍛える」という文化が消えちゃってることですね。

 

・僕が大野(耐一)さんや鈴村(喜久男)さんから指導を受けていた当時は、いじめかとおもっとった(笑)。だけど、いまにして思うと鍛えてくれたなと。先生というのは日頃接している時に慕われるんじゃなくて、去った後に尊敬されるのが一番いい先生なんだと思います。

 

・(先生や指導者は)相手に対する真心というか、愛というか、育ってほしいって切なる思いがあるからこそ、厳しくするわけ。でも、いまは親も教師も上司もそれをやらないでしょ。この先、日本はどうなっちゃうのかなと危惧しています。

 

・「打とうとも 我は思わず 打たじとも 我は思わん 神妙の剣」

これは剣道の極意を説いた有名な古歌です。美空ひばりの「柔」の歌詞にも「勝つと思うな 思えば負けよ」とありますが、いついかなる時も無心で立ち向かていくという姿勢は、後にトヨタに入り、困難な仕事に直面した時にも生きてきましたね。剣道を通じて学んだことは僕人生に大きな影響を与えてくれたと思います。

 

・何をするにも自分でやる。そのおかげで考える癖が身についたし、分からんことは専門書を読み漁ったり別の部署ぼ詳しい人に聞いたりしてね。現地現物、自分で確認しなければ物事の本質は見えないってことを叩き込まれました。

 

・鈴村(喜久男)さんはよく「目で見るな、足で見よ。頭で考えるな、手で考えよ」と言っていましたが、現場に行き、自らの手で触って確認すると共に、問題が起きたら「なぜ?」を五回繰り返して真の原因を探すことの大事さ、そして根気強く観察すれば知恵が出ることを身を以て学ぶことができました。

 

・昔、大野(耐一)さんから宿題をもらって悪戦苦闘しててね。「何でできんか分かるか」って聞かれたことがあるんです。答えようがないですよね。まぁでも何か適当に答えたら、大野さんがひと言、「できるまでやらんからだ」。

 

・大野(耐一)さんも鈴村(喜久男)さんも張(富士夫)さんもちゃんとアイディアを持ってるんだけど、具体的にああしろ、こうしろとは敢えて言わない。ヒントだけ教えてくれる。そうやって考えることのできる人間をつくってくれました。

 

・一般的には、上司も社長から結果を求められるから、早く結果を出そうとするあまり、手取り足取り部下に教えてしまうケースが多い。それじゃあいつまで経っても部下が育たないんです。

「どうしたらいいんですか」って聞かれた時に、分かっていても手段や方法を答えないで、「自分で考えろ」と。これはある程度の訓練を積めばできるようになる。

ところが、課題を与えた瞬間から自分も考える。これが難しい。謙虚さがないとできません。

 

・よく「最近の若い者は指示待ち族ばかりでいかん」「考えるやつがいない」って愚痴をこぼしている上司がいますけど、それは部下に考えさせないで、すぐ答えを教えている自分の責任だと自覚しなきゃダメだと思います。

 

・(伸びる人も、途中で止まってしまう人も)素質はみんないいものを持っているんです。ダメな人間っていうのは絶対にいない。ただ、幼少の頃からどんな人に囲まれてきたか、どこでどういう体験を積んできたかっていうのは大事でね。会社においては上司との出逢いが明暗を分けます。いま話してきたようなことを弁えて、部下をその気にさせるいい上司に恵まれた人は伸びていく。

 

・僕が課長になった時、(中略)(大野耐一さんが)「今度課長になったんだな」と。「ありがとうございます」と言うと、「課長になることがありがたいかどうか、わしはよう知らんけど、課長というのは管理職だな。君は管理とは何と心得る?」と。

禅問答のようですが、汗をかきながら思いつくことを述べたら、「君の言ったことはな、管理とは言わん。そういうくだらんことは監視というんだ。そんなことやらんでも、皆が同じ方向に自発的に走っていくように仕向けることが管理なんだ」と。

 

・自分がダメだと思い込んじゃってる人を導くのはなかなか大変です。そういう人には小さな成功体験を一つずつ積ませるしかありません。

 

・最近は人財育成などと言って、どこの企業も人事が張り切っていますけど、教育なんかやったって人は育たない。知識は一人が百人、千人に対して教育できる。でも、意識はマンツーマンで教えるしかないんです。

 

・大野(耐一)さんが「知識を与える前に意識を植えつけろ」とよく言っていたように、知識を先に教えると、「あっ、それ知っています」と頭でっかちな人間になっちゃう。反対に意識をまず植えつけてから知識を教えると、どんどん仕事ができるようになっていくんです。

 

 

 

土屋恵一郎氏(明治大学学長)の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・観世寿夫さんの謡(うたい)は明朗に節が立った、まるで音が一つひとつのリズムとして聞こえてくる音楽のようで、これまで自分が持っていた謡の固定観念を完全に壊されました。謡にパバロッティやマリオ・デル・モナコといった世界的なオペラ歌手にも匹敵するような音楽性があるとは思ってもみなかった。

 

・世阿弥は、自分のリズムや感覚だけで何かをするのは愚かである、周りの事情がどうであれ、「私は私のやり方でやる」と言い張っていては、何事もうまくいかないといっているのです。

 

・六百年も昔に観客との目には見えない微妙な呼吸や時間、タイミングまで考え、人々との新しい出逢い、能という出来事を演出、プロデュースしていた世阿弥は天才というほかありません。

この教えは現代の様々な場面でも有効です。例えば仕事のプレゼンテーションでは、お客様の呼吸や心の動きを感じ、ここだというタイミングを図って話を進めていくことで説得力が生まれます。

 

・いまフェイスブックやツイッター(現X)といったバーチャル空間では、日々様々な背景を持つ人たちがインターネットを通じて出逢い、集まり、新しいものが生まれています。そうしたインターネットの世界でも世阿弥のように常にどう人々が出逢い、どう関係を結んでいくかを考えていくことが非常に重要だと言えます。

 

・世阿弥は能の作品を多く遺していますが、実は完全なオリジナルはほとんどありません。ほとんどが、『源氏物語』や『平家物語』といった既に世に広く知られた物語の一部を、筋や時系列を崩しながら能に合うようにつくり替えたものです。要するに、現代の映画監督が小説を題材に映画化しているのと同じことを、世阿弥は六百年前にやっていたのです。いまあるものに光を当てて、全く新しいものを生み出す。これこそ真のイノベーションだと思います。

 

・世阿弥は、将軍・足利義満にその才能を見出されて寵愛されますが、祇園際の時に義満が世阿弥を自分の桟敷の横に座らせて一緒に酒を飲んだことに対し、三条公忠という貴族は、この者は「散楽者」であり「乞食(こつじき)の所行」をする者であると非難しています。自分がネガティブな存在として扱われたことがあるからこそ、世阿弥は弱き人々へ強い愛情と共感を持っていたのです。

そして、そのような世阿弥の弱き存在への感情、共感力が人々の心に訴え、能が今日まで長く愛される要因になったのだと思います。

 

・「却来(きゃくらい)」とは、ある境地に達した後、また最初の段階に戻るという意味ですが、(中略)経営者でも教育者でも自らの仕事や人生をつくっていく、完成させていくためには、世阿弥のいう「却来」が非常に大切だと思います。

 

・世阿弥はまさに一つのところに安住せず、常に変化しながら、何歳になっても常に自らの原点に立ち戻る「却来」を実践することで、創造と破壊を繰り返し、現在の能を大成、創り上げていきました。様々な難題を抱える現代に生きる私たちは、真のイノベーター、オリジネーターであった世阿弥の言葉にいまこそ真摯に耳を傾ける必要があるでしょう。