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村上和雄氏(筑波大学名誉教授)・中村勝範氏(慶應義塾大学名誉教授)の人間学やビジネスなどの名言・格言集

 

こんにちは

クローバーです^^

 

今回は村上和雄氏(筑波大学名誉教授)・中村勝範氏(慶應義塾大学名誉教授)の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^

 

【目次】

 

 

 

村上和雄氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・笑いが健康に良い影響を及ぼすことを、医学界に認知させた人物がいます。アメリカのジャーナリスト、ノーマン・カズンズ氏です。

 

・(膠原病の一つの強直性脊椎炎という治る見込みは五〇〇分の一という難病と診断されたアメリカのジャーナリストのノーマン・カズンズ氏は)医師たちが勧める薬剤治療を辞退すると、連日喜劇鑑賞に勤しむとともにユーモアたっぷりの本を読み漁るなど、積極的に笑う作戦に打って出たのです。この作戦は、病気の引き金になったのはネガティブなストレスであるならば、逆にポジティブな感情を持つことによって病気が治せるのではないかという彼独自の考えに基づくものでした。

持ち前の前向きさも手伝ってか、カズンズ氏は病に屈することなく笑い漬けの毎日を送りました。例えば十分間大笑いをすれば、二時間は痛みを忘れて眠れることも、そうした闘病体験を通じて発見した出来事でした。

 

・笑いとともにカズンズ氏が取り組んだのがビタミンCの大量摂取です。彼はビタミンCが免疫作用と自己治癒力を高めるために必須であることを、医学誌で学んでいたのです。そのため一日に十グラムから二十五グラムのビタミンCを摂取し続けたのでした。

するとどうでしょう。なんと発病(全快の見込みはほとんどなく治る見込みは五〇〇分の一と医師に告げられた強直性脊椎炎という難病)から僅か数か月後には症状が改善し、仕事に復帰することができたのです。

 

・今日、笑いに関する研究は多岐にわたっていますが、その一方でこんなデータもあります。子供が一回に笑う回数が三百回から四百回であるのに対して、大人は十回から二十回。さらに歳を重ねていくに従って笑いの回数は徐々に減っていき、一日中笑わない人も出てくるというのです。

 

・笑いを増やすことで、老化や病気の進行を抑制できないかという研究も行われてきました。

例えば中央群馬脳神経外科病院では院内で病院寄席が行われ、寄席の前後で脳疾患患者の脳の血流量の比較が試みられています。実はこの寄席は脳神経外科医にして落語家でもある中嶋英雄氏によるもので、大変ユニークなのでしが、研究結果も注目に値する者でした。低下傾向にある患者の脳血流量が、落語を聞いて笑うことで増えたことが実証されたのです。

 

・薬と言えば、皆さんご存じの通り副作用があります。副作用のない薬は、全く効かない薬と言えるでしょう。特によく効く薬には、必ず副作用があるものです。ある年の統計によると、アメリカでは年間に三十万人が薬の副作用で亡くなっていました。日本ではこうした数値は発表されてきませんでしたが、アメリカで起こっていることが日本で起こっていないわけがありません。薬の副作用は避けて通れない道なのです。

それに比べると、笑いには副作用というものはないと私は思います。せいぜい笑い過ぎてお腹が痛くなるか、顎が外れるといったところでしょうか。それだけ笑いには副作用のない薬として今後も十分に活用できる可能性があるのです。

 

 

 

中村勝範氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・「而今(にこん)」とは「いま、この瞬間を精いっぱい生きる」という禅の言葉で、たまたま漢和辞典を開いていて見つけたんですが、いい言葉でしょう?気に入ってすぐ会の名前にしました機関誌も「而今」としました。

 

・最近残念なのは、長く読んでくださっていた方が私より早く亡くなったり、ねんね意を理由に会を離れられたりする方がいることです。

私は終末を意識している人たちにこそ、『而今』を読んでいただきたいんです。人間は自分の終末ばかりを意識したら終わりですよ。どのような状況の中でも「生きるんだ」という気持ちを忘れないようにしなくては。

 

・(農村地帯に生まれながら非農家だったのでなかなか食べ物が手に入らない惨めな生活だったが)両親は、周囲の嘲笑を意に介することもなく私を慶應義塾大学に進学させてくれたんです。

その当時は分からなかったけれども、年齢を重ねるにしたがってえらい両親だと思うようになりました。年を取るというのはいいことです。苦労して自分を育ててくれた人たちの気持ちが分かるようになりますからね。

 

・(慶應義塾大学に)入学してから最初にやったのが授業料の減免の手続きでした。最後は全面的な援助を受けて、奨学金までいただきましたが、この時、どんな貧乏でも、勉強を頑張れば卒業できることを実感しましたね。だから私は学生たちに言ってきたんです。「金はなくても構いはしない。卒業できるんだよ」と。

学生時代は食べる物に苦労して栄養失調になった時期もあります。恥ずかしいことですよね。でも私はそこで人間は夢を食べて生きていけると気づいたんです。

 

・大学の図書館は九時に開くんです。私は一番早く行って夜九時の閉館までそこにいました。お金は一銭もなくても、好きな本を存分に読めて眠りたかったら眠ることもできる。その頃の私は水を飲みながらでも、学者になるために必死でした。

 

・最初に学者になりたいと思ったのは小学三年生の頃です。勉強だけをやっていたら偉くなれると単純に思ったわけなんですけど、当然学者の世界はそんな甘いものではなく、やはり要領のいい人間には敵わない(笑)

幸いだったのは、中村菊男という素晴らしい政治学の先生に巡り合えたことです。先生は大学一年生の最初の講義の時にこう言い放たれたんです。「人生は闘争の連続なり」と。このひと言には痺れましたね。この先生について政治学の道に行きたいと思いました。この言葉に出合わなかったら大学を辞めていたかもしれません。

 

・学生時代はこの言葉(中村菊男先生がおっしゃった「人生は闘争の連続なり」)を他人に対する攻撃を忘れたらいけないという戒めと受け止めていました。しかし、大人になってくると、これは自分の中の弱いものに対する闘争であることが分かってきたんです。

人間は自分自身に対する闘争がなくちゃ駄目ですね。いまやっている『而今(発行している機関誌)』の発行もやっていると体力的な限界にぶつかります。それでもやらなくちゃいかんわけですから、どこまで行っても闘争なんです。

 

・(大学教授時代にかなり厳しくゼミ生を指導していた)ゼミを卒業したら世の中のことは何でもこなせる人間を育てたいと思ったんです。実際、人生はこう歩むべきだ、リーダーになる人間はこういう点を注意しなくちゃいかん。そういうお説教も随分してきました。(中略)

ゼミ生の頃から「リーダーは誰よりも勉強しなくてはいけない」と言ってきましたが、(元ゼミ生たちの発言を聞いていて自分も勉強になり)私は最早追いつかないと思いました。こうして自分を超えていく教え子が大勢いることは、嬉しいことですね。

 

・最近、私は改めて二宮金次郎を学び直していますが、この人は常にメモを取り、学んだことを日記に書き、目標を持ってそれを実践している。いや、すごい人ですよ。百姓一途の人です。

 

・若い頃は貧乏の中から一日も早く逃げ出したかったけれども、いま思うと、この経験も無駄ではなかった。貧乏な生活をしたからこそ、庶民のための「而今の会」が生まれたと思っています。

 

・(若い世代へのメッセージとして)何でもいいから自分のやっている仕事を、コツコツとやり遂げることでしょうね。この世の中に無駄な仕事はありません。それぞれの場で精いっぱい頑張ってほしいと思っています。