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富岡幸一郎氏(内村鑑三の言葉)・野村総一郎氏(老子の教え)の人間学やビジネスなどの名言・格言集

 

こんにちは

クローバーです^^

 

今回は富岡幸一郎氏(内村鑑三の言葉)・野村総一郎氏(老子の教え)の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^

 

【目次】

 

 

 

富岡幸一郎氏(内村鑑三の言葉)

・内村(鑑三)は苦悩の中で『旧約聖書』の「ヨブ記」を繰り返し読み続けました。そこには篤い信仰を持つにも拘らず財産や子供たち、さらには自らの健康まで奪われるなど過酷な試練に見舞われるヨブの姿が描かれています。内村はそういうヨブと自信を重ね合わせながら信仰とは何かを自らに深く、鋭く問うたことでしょう。

 

・内村(鑑三)は星野(嘉助・星野リゾートの創業者)に「成功の秘訣十カ条」を書き与えています。この十カ条を玩味すると彼の思想・信条がよく理解できるのではないでしょうか。

 

一、自己に頼るべし、他人に頼るべからず。

一、本(もと)を固(かと)うべし、然らば事業は自(おの)づから発展すべし。

一、急ぐべからず、自働車の如きも成るべく徐行すべし。

一、成功本位の米国主義に倣うべからず、誠実主義の日本主義に則るべし。

一、濫費は罪悪なりとしるべし。

一、能(よ)く天の命に聴いて行うべし。自ら己が運命を作らんと欲すべからず。

一、雇人は兄弟と思うべし。客人は家族として扱ふべし。

一、誠実に由りて得たる信用は最大の財産なりと知るべし。

一、清潔、整頓、堅実を主とすべし。

一、人もし全世界を得るとも其霊魂を失はゞ何の益あらんや。人生の目的は金銭を得るに非ず。品性を完成するにあり。

 

・内村(鑑三)の著作で広く知られる『代表的日本人』について少し触れておきましょう。

内村はこの本で西郷隆盛(明治維新の立役者)、上杉鷹山(米沢藩主)、二宮尊徳(農政家)、中江藤樹(儒学者)、日蓮聖人(仏教者)の五人を取り上げ、その生涯や人となり、日本人の美徳というものを英文で欧米人に紹介しました。

この五人に共通するものは、誰よりも真剣に生き、かつ自分の利益よりも他者の幸せを優先する利他主義を貫いたことです。

 

・内村は武士の上に生まれ、四歳の頃から四書五経の一つ『大学』を読み始め、八歳の頃には父から漢字を学び、漢学塾にも通っています。この頃身につけた儒教の素養に西洋の新しい学問やキリスト教が接ぎ木されたことで、内村の思想や信仰スタイルは独自色を帯びたものになりました。

 

・人間が自己を確立する姿は尊いものです。しかし、エゴイズムによって他者への思いやりを忘れ、過剰な物質文明に追従していく歪んだ自己意識が増長していく様は、まさにバブル経済に浮かれていた日本人そのものと言えないでしょうか。

 

・力ある内村(鑑三)の言葉は、私個人の生き方にも大きな影響を与えました。『聖書』を読んだことのなかった私が、内村の研究を通して様々なキリスト教とのご縁をいただき、洗礼を受けるまでになるのですから、人生は不思議です。

 

・私たちは物に言葉がくっついているように思いがちですが、現実には言葉によって初めて人間は世界を認識し、分節化することができます。日本人が虹を見て七色と認識するのは、微妙な色の違いを表現する言葉を持っているからです。

 

・言葉を豊かにすることは、それだけ人生に多くの可能性を見出せることを意味しているのです。読書により先人の言葉に触れる意味もまた、そこにあると思います。

 

 

 

野村総一郎氏(老子の教え)

・これまで四十五年間で十万人以上の患者さんと向き合ってきましたが、十年ほど前、投薬以外の新しい治療法を模索している時に『老子』に出合い、この考えは治療に役に立つと直感したんです。

 

・私は精神科の中でも特に鬱病を専門としており、『老子』を一読した時、「この本は鬱病について書かれた本だ」と感じるほど、鬱病を発症する原因や治療法が明確に書かれていて驚きました。老子が生きていた時代には鬱病という概念がないにも拘わらず、『老子』の説く考え方には頑張りすぎる現代人にとって必要な哲学があるんだと思ったんです。

 

・残念ながら、鬱病患者は年々増え続けています。その原因を一概に言うことはできませんが、誤った考え方や認識の仕方が少なからず影響していると私は考えています。

「頑張っているのに誰からも評価されない」「自分は能力が低く、何もできない」「友人たちは充実した生活を送っていて羨ましい」「お金がある人は幸せ、ない人は不幸」

無意識のうちに自分と他人を比較し、そのジャッジ(判断)に自らが苦しめられている。日本人は特にジャッジしすぎる傾向があることは否めません。

 

・『老子』には「自分と他人を比べるな、他人との関係性に必要以上に苦しめられるな」という内容が表現を変えて繰り返されているため、精神疾患に苦しむ患者さんとのカウンセリングの中で、『老子』の言葉を紹介し、このジャッジフリーの生き方を提案しているんです。

 

・老子が活躍したのは約二千五百年前ですが、それだけ長い間語り継がれているということは、やはり多くの人の心に響くものがあるわけです。

 

・同時期に孔子も活躍しており、老子と孔子はライバルだと言われてきました。共に中国文化を築いた偉人ですけど面白いほど考え方が真逆で、「上り坂の儒家、下り坂の老荘」と表現されています。これを私は分かりやすく「元気な時の孔子、いまいちな時の老子」と伝えています。

 

・孔子の教え、つまり『論語』には「人間は礼節を重んじ、親を大切にし、自らを厳しく律して生きなければいけない」といった戒める思想が中心であるのに対して、老子は自然主義といいますか、「まあまあ、それでもいいじゃないか」「なるようにしかならないよ」「弱くてもいいじゃないか」など現状を容認する考え方がたくさん含まれているのです。

 

・孔子の教えには厳しさが伴うため、”治療”という側面で考えると、老子のほうが癒しを与えて、悩める人の心を救うことができるのではないかと思うです。

 

・極端なことを言えば、鬱病とはきちんとし過ぎるがゆえに罹ってしまう病です。患者さんは物事を非常に堅く、真面目に捉える傾向があるので、そういう方に孔子の教えを伝えても、「こんなに頑張っているのに、まだ頑張らなければいけないのか」という反発が生まれるわけですね。しかし、「楽な考え方でもいいじゃないの?」と、ある意味いい加減にも感じるような老子の思想をお伝えすると、非常に救われる方が多くいるのです。

 

・鬱病というのは心の病であるわけですが、罹るのには四つの要因があると私は考えています。一つは劣等意識。「自分は弱い」「ダメな人間だ」と。次に「自分は損をしている」「被害を受けている」と感じる被害者意識。三つ目が完璧主義で、四つ目が自分のやり方に必要以上にこだわってしまう執着主義です。

 

・「上善は水の若(ごと)し」

(医訳)最高の存在とは水のようなものである。人が嫌がる「低いところ」へ流れ、そこに留まる性質がある。水というのは、やわらかく、弱い存在であるかのように思えるが、実際には岩をも砕く強さがある。水は、弱く、争わない存在であるが、結局は勝利を収める。中途半端に強くなろうとせず「水の若く」あえて弱さを選択するのも一つの方法である。

 

・「曲(きょく)なれば則ち全(まった)し」

(医訳)何かを成し遂げるには曲がりくねっていることも大事。直線的に生きるより、曲線的に生きる方がいい

 

・「天下は神器、為すべからず、執るべからず。為すものはこれを敗り、執るものはこれを失う」

(医訳)何事にもよらず、完璧にやり遂げて、その達成のために努力するのはよいことだが、世界とは人間の力が及ばないもので、思い通りにいかないものだ。それを思い通りにしようとしたり、自分のものにしようとすると目標達成どころか、ほろびの道になりかねない。

 

・「和光同塵(わこうどうじん)」

(医訳)「光を和らげて、塵(ちり)に交わる」、すなわち自分だけが「光り輝いている存在」となるのではなく、もっと俗世間に交わってみることが大切だ。

 

置かれた環境に不平不満があったとしても、あえて実力を隠して周りと同化するように老子は提案しているのです。

 

・「天網恢恢(てんもうかいかい)疎(そ)にして失せず」

(医訳)悪い人を捕まえるために天が張り巡らせた網は、一見すると荒いように感じるけれど、実際には一人も取り逃すことがない。

 

(中略)よく知られた言葉でいうと「お天道様は見ている」と同意です。いいことも悪いこともすべて天が見てくれているから心配するな、と。皆が嫌がる仕事を率先して引き受けるなど、陰の努力や貢献をしている人に勇気と希望を与えてくれる言葉です。

 

・なぜ人々の心に響くのか。それは『老子』の考え方の根底に「無為自然」という考えがあるからです。人間としての賢(さか)しらの知恵や身勝手な感情を捨て、自然の法則に従い、ありのままに振る舞う。人間も自然の一部なのだから、自然体で生きようという教えです。鬱病で本当に苦しむ人々にとっては気休めかもしれませんが、二千五百年という長い年月を経て受け継がれてきたこれらの叡智は、一つの真理といえるでしょう。