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安岡定子氏(安岡正篤の孫・こども論語塾主催)・前田英樹氏(立教大学名誉教授)の人間学やビジネスなどの名言・格言集

 

こんにちは

クローバーです^^

 

今回は安岡定子氏(安岡正篤の孫・こども論語塾主催)・前田英樹氏(立教大学名誉教授)の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^

 

【目次】

 

 

 

安岡定子氏(安岡正篤の孫・こども論語塾主催)の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・(開催している子供論語塾には)教室には、まだお母様のお腹の中にいるうちから参加されるお子さんもたくさんいるんですよ。そういう子たちは、二歳くらいで『論語』の言葉を何も見ないで言えるようになるんです。

 

・人間の耳というのはとても早い時期から発達するので、子供がまだお母さまのお腹にいる時期も含めて、周りの大人がいかによい言葉を聞かせるかが大事だと祖父の安岡正篤もよく申していました。

 

・周りの大人が気を付けてよい言葉を話すこと、よい言葉を耳に入れる環境を整えてあげることはとても大事だと思うし、お子さんがまだお腹の中にいる頃からお母さまが『論語』のような優れた言葉に触れるのは、とても有効だと思います。

 

・(開催している論語教室に通えない場合は)いきなり『論語』の素読をしようとしてもうまくいかないこともあるでしょう。お子さんの様子を見ながら少しずつやっていただければいいと思います。毎朝親子で章句をいくつか唱和してから幼稚園へ行くというご家庭もありますし、寝る前に一緒に三つだけ読んで寝るご家庭もあります。

 

・(小さい子供たちに指導するうえで工夫していることは)いきなり『論語』の話をするのではなくて、季節の話や年間行事の話などをしてから始めるようにしています。

例えば五月だと、「なぜ鯉のぼりだと思う?他のお魚でもいいじゃないの」って子供たちに問いかけるんです。そこから、昔中国の黄河に登竜という大きな滝があって、そこを登り切った鯉は鱗が光はじめて竜になるという伝説を紹介して、鯉は健康とか強さを象徴しているところから鯉のぼりが始まったことや、そこから派生した登竜門という言葉について話します。

 

・(親子で口ずさんで欲しい『論語』の言葉は)まず絶対に外せないのが

「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以て師と為るべし」

です。オーソドックスに訳せば、昔の人の考え方や生き方を学んでから自分のやるべきことに取り組む人は立派だということになります。

 

・(親子で口ずさんで欲しい『論語』の言葉は)

「学んで時に之(これ)を習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。

 朋(とも)有り、遠方より来たる、亦楽しからずや。

 人知らずして溫(いきどお)らず、亦た君子ならずや」

です。江戸時代に『論語』を「宇宙第一の書」といった伊藤仁斎は、この章句を『論語』の中でも一番素晴らしい言葉、「小論語」だと言っています。どれほどすごい言葉かということですよね。

「学んで時に之を習う、亦説ばしからずや」は、学んだことは復習することが大事で、学びっぱなしでは十分身につかないと説いています。(中略)

次の「朋有り、遠方より来たる、亦楽しからずや」は一緒に学ぶ、よき仲間の大切さを言っています。(中略)

最後に、「人知らずして溫らず、亦た君子ならずや」です。僕がこんなに頑張っているのに誰も評価してくれないと嘆くのではなくて、自分の目標に向かって努力し続けられる人こそが素晴らしいという意味です。

 

・若い方や学生さんによくお話しするんですけれど、本を読んで得たものは、必ず自分の中に積もっていきますよね。そして内面がどれだけ充実しているかがその人をつくっていくことは間違いないので、読書を通じて過去から謙虚に学ぶことはとても大事だと思うんです。

 

・目の前の人から学ぶこともとても大事ですが、学ぶ対象を広げていくと、過去の人物に行き着きますよね。でも、その人の言葉を知っていても、それがどういう人で、どんな時に発した言葉なのかを知らなければ十分理解することはできません。ですから、昔の人を身近な友達に感じるくらい深く学びましょうというんです。それが「読書尚友」ということだと思うんです。

 

・祖父(安岡正篤先生)は、なるべく若いうちに私淑する人物を持つことの大切さを説いていましたね。これは将来、不遇の時や失意の時にこそ、その功徳が大きいのだと。大切なことは、すべて日常の中で示してくれていたような気がします。

 

 

 

前田英樹氏(立教大学名誉教授)の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・(小林秀雄の『考えるヒント』を読んで)本当の読書、学問は生きる技術を得るためにするのではなく、「自分はどう生きればよいか」という根本を学ぶものなんだ、とはっきり示された気がしましたね。

 

・江戸時代のすぐれた学者がやった学問というのは、『論語』であれ『孟子』であれ、自分が信じ切った一冊の書物を徹底的に読んで読んで読み抜いて、それが自分の血肉になって息づくまで読み抜くということなんですね。

 

・本を読んで雷に打たれたように動かされ、自分一身がどう生きればよいのかがはっきりと分かる、そういう経験から出発する読書を”愛読”と呼んでいます。

 

・江戸時代の学者たちは学問とは喜びに溢れた行為だったし、彼らの著書を読むと、たとえば『論語』は彼らの心魂を通じて精彩を放ち、まるで躍動する生き物のように生まれ変わっていきます。

 

・僕は別に学問の道に進みたかったわけではなくて、江戸時代の学者たちが抱いていたような学問への志を非力ながら継ぐことができたなら、という気持ちを漠然と持っていただけのことなんですよ。(中略)

フランスの哲学者・ベルクソンやスイスの言語学者・ソシュールの書物を読み、実に多くを学び、考えるうちに教員の立場も与えられ、やがて自分のやるべきことが開けてきたということです。

 

・自分が心を開かないと相手も心を開いてくれませんし、両方で心を閉じ合っていたらね、学問もただの知識の伝達にしかなりません。

 

・学生たちに向き合う時に考えないといけないのは、「それが何のための教育なのか」ということですよ。組織運営やお金儲けに役立つ知識だけを教えるのは、僕が思う学問ではない。

やはり、「自分はどう生きればよいか」なんです。どんなに成功しても大金持になっても、人間は「どう生きればよいか」という問題にぶち当たるようにできているんです。その問いから逃げても、人間はそこに必ずぶち当たる。

 

・伊藤仁斎は『論語』を読めば「手の舞、足の踏む所を知らず」と言っていますが、それほど喜びと感動があるのが本当の読書なんです。

 

・やはり、利口ぶって、いろいろな難しい知識を蓄える、そのような読書、学問はだめですね。人間を一つも立派にしませんよ。

 

・いまの若い人には雑多な情報に惑わされないでほしい。自分の信じた本を読み抜く勇気を持ってほしい。求める力があれば、読むべき本は必ず向こうからやってくるものですよ。