こんにちは
クローバーです^^
今回は暁烏敏の曾孫で明達寺住職の暁烏照夫氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^
【目次】
暁烏敏の若い頃
・十億の人爾
十億の母のあらむも
わが母爾まさる
波ゝ(はは)あり奈むや
これは、浄土真宗の僧侶・暁烏敏が、自分の母親が亡くなった時に詠んだ和歌です。言葉の親しみやすさもあり、多くの人に愛誦されてきました。この歌には、早くに父親を亡くした敏が、自分を守り育ててくれた母の恩を偲ぶ真心が込められています。それと共に、あらゆる人々を救いたいという仏の慈悲の力が働き出ています。
・(暁烏)敏は明治十(一八七七)年、明達寺に生まれました。父・依念(えねん)は、特に教育に関して先見の明のある信念の人でしたが、敏が十一歳の時に亡くなってしまいます。父を早くに亡くし、あまり生活が豊かではない中で、ひたすら母・千代の庇護と願いの元で育てられました。少年期の敏は、情熱と向学心、反骨神の塊のようでした。
・敏が師(清沢満之)から引き継いだ(仏教)改革運動には、大きな三つのテーマがありました。それは、親鸞聖人と仏教の教えの原点に立ち返ること。次に狭い国内の制度にこだわることなく、広く西洋の文化・世界にまで目を開くこと。そして仏教の深い真実を以て、現実世界や教団のあり方を改革していくことです。
親鸞の言葉『歎異抄(たんにしょう)』
・敏の心の拠り所となったのは清沢によって導かれ味読するようになった、親鸞の言葉『歎異抄(たんにしょう)』でした。親鸞の言葉はあまりに鋭く、人間の煩悩と信仰の現実を深く抉り出していたため、長年教団によって禁じられていたのですが、むしろ敏は、そこに忘れられていた仏教のと日常生活での救済の実感を、新たな時代の希望として読み取ったのです。
・敏は『精神界』に「歎異抄を読む」を八年にわたって連載すると共に、全国を精力的に巡って公演を行いました。この時の敏の情熱と感激に満ちた独特の言葉や文章は、多くの人の心を捉え、現在にまで続く「歎異抄ブーム」の先駆けとなりました。
・ある宗教系新聞に敏の女性に関する噂話が掲載されました。これは単なるスキャンダル記事でしたが、一面、敏に新工場の危機をもたらしたのです。『歎異抄』にある、善人よりも悪人のほうが先に仏の慈悲を悟るという「悪人正機」の教えを、改めて深く考えさせられる体験となりました。
汝自当知(にょじとうち)と皆当往生(かいとうおうじょう)
・「汝自当知(にょじとうち)」は、新たな浄土を建てたいと発願した法蔵菩薩が、世自在王仏にその方法を尋ねたところ、「そのような大切なことは、他人に訊くことではない、あなた自らで当(まさ)に知らなければならない」と言われた場面に出てくる言葉です。これはつまり、仏の教えは他の何者のためでもない、己自身のためにある。だから、真実の教えを伝える者は己自ら命を懸けてその願いを知り、成就しなければならないことを意味しています。
・戦後の敏は、戦争中の心労もあって、もともと弱かった視力が悪化して盲目となりました。しかし昭和二十一年十一月、自坊での報恩講が始まる早朝、敏は突然、床中にて『大無量寿経』にある「皆当往生(かいとうおうじょう)」の言葉を耳にします。これは、弥勒菩薩が釈尊に、阿弥陀仏の浄土へ往生する者がどれだけあるかと問うたことに対し、「あらゆる仏国土から数えきれないほどの人々が当に往生する」と答えられた場面に出てくる言葉です。
「皆当往生」の言葉が敏の思想の中心となっていくのですが、「汝自当知」と同じく、この「当」という字に敏の真骨頂が現れていると私は思います。「当」という強い願い、すべての人を仏の慈悲の力によって救おうとする働きを仏教では「回向(えこう)」といいます。
・敏はこの回向(えこう:仏教ですべての人を仏の慈悲の力によって救おうとする働き)の力に誰にも増して明るく秀でていました。まさに敏の生涯は長い回向の旅であり、天性の伝道者であったといえます。
盲目となった敏は、ますます活発な講話旅行に全国を経巡ります。その晩年の活躍ぶりに、「北陸には別の本願寺があるのではないか」という者が出るほどでした。
・多彩な側面(歌人・俳人・書家、学者、思想家など)を持つ敏の根底にあったものは、何よりも浄土真宗の信心に基づく情熱であり、仏の慈悲によって人々を救っていくという願いであったことを見誤ってはならないでしょう。
終わりに
暁烏敏(あけがらす・はや)は明治10年の生まれで、近代の日本の仏教や思想、文化などに大きな足跡を残した人物ということです。
私自身、月に何度か待乳山聖天さまに参拝させていただくのですが、仏教の教えなどにはまったく精通しておらず恥じ入るばかりです。
汝自当知などの言葉は初めて聞きました。
今回の暁烏敏の話を読んで思ったことは暁烏敏さんが影響を受けた言葉というより、私が個人的に影響受けたのは歎異抄を読むようになった暁烏さんが歎異抄について連載したり、講話をするほどの情熱を持ったということです。
私に置き換えてみるとドラッカーを学び始めてから、年月だけは経ってしまいましたが、ドラッカーについての連載をできるか、講演会をできるかと言えばまったくそのレベルではありません。
なので、暁烏敏さんが歎異抄に情熱を傾けたように私もドラッカーについての連載ができるようになったり講演会をできるようになるようなレベルまで情熱を持っていきたいなと思いました。
「人に伝える」ということは当然、理解しているということですのでマネジメントの仕事にも活かせますので実用的でもあります。
ドラッカーに限らず、それほどの情熱を持てるようになってきたら良いのではないでしょうか。ということが今回の学びですね^^
という感じで今回はこのあたりで失礼します。