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横田南嶺氏・五木寛之氏・前野隆司氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

 

こんにちは

クローバーです^^

 

今回は横田南嶺氏・五木寛之氏・前野隆司氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^

 

【目次】

 

 

 

横田南嶺氏人間学やビジネスなどの名言・格言集

・お坊さんというのは一流になると「さん」付けになるんですよ。一休さんも良寛さんも白隠さんも、皆そうでしょう。

 

・(松原)泰道先生は(オウム真理教の一連の騒動の際に)「仏教の正しい布教ができなかった」とおっしゃっていましたけれども、ご自身は決して怠慢だったわけではありません。講演に執筆にあれほど努力をなさっていた方はいません。その泰道先生が「申し訳ない」と慚愧に堪えない思いを抱かれていたことを、私はいまでも忘れることができません。

 

・(松原)泰道先生のお葬式の時、日蓮宗の酒井日慈管長が弔辞で披露してくださったんですが、初めて泰道先生に出会った時、「ありがとうの一言が周りを明るくする。おかげさまの一言が自分を明るくする。ありがとう、おかげさま。これが仏教の心です」と言われたそうです。

 

・(松原)泰道先生には「精いっぱい生きよう」と言われましたけども、その「精いっぱい」に、「楽しんで、喜んで」が加わるような心境になってまいりました。

そして、人生の下りには下りの景色の味わいがあるのではないかと思い始めたところです。

 

・抜苦与楽というのは私にとっても大きな課題です。私には戦争体験もございませんし、(対談相手の)五木(寛之)さんの深さには到底及ばないことは仕方のないことですけれども、そういう自分にせめてできることは、平穏なこの時代に生まれたことに感謝して、明るく生きていくことです。

 

・私もこれから少しでも明るい笑顔、明るい声で、明るく生きていくことで、せめて一時の喜びや光なりとも人様に与えていく努力をしていきたい。それが私の一つの役割かなと思っています。

 

 

 

五木寛之氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・私が松原(泰道)先生と対談させていただいた時、百一歳の先生は補聴器を使われていたのが印象に残っています。人間というのは、いくら花を咲かせようと頑張っても、結局老いを避けることはできない。それは松原先生のように立派な方でも例外ではないんです。

 

・歩く時でも、足を引きづると周りの人に気を使わせてしまうだろうから普通に歩いているように見せているだけなんです。

 

・軽い認知症は神からの賜物ではないかとおっしゃられている医師もおられます。それによって、例えばがん患者の苦痛が和らぐこともあるんだと。

 

・医学の根本はそういう痛み、苦しみを取ることだと私は思います。脳とか心臓とか分子生物とか、ノーベル賞の対象になるような高度な分野は脚光を浴びるんですけど、日々様々な苦痛に悩まされている老いた人々を現在医学はもっと楽にしてあげてほしい。これは私自身の願いでもあるのです。

 

・私は昔から「下山の理想」ということを盛んに言ってきたんですけど、山を登っていく姿勢と下りていく時の姿勢では重心のかけ方も違いますし、見ている世界も違いますよね。必死で登坂している時は頂上だけを見ているだけで、他のことは考えられませんけども、下山は一歩一歩踏みしめながら、優雅に下っていける。

 

・この国では語られた生の言葉よりも、書かれたものを大切にする気風があるんです。しかし万巻の経典も、仏陀自身が筆を執って執筆したものはありませんよね。仏陀の説法を弟子たちが全身全霊で聴いてそれをまとめたものです。

 

・私は終戦の時に平壌から三十八度線を越えて引き揚げてきたのですが、あの時は人を突き飛ばしてでも前に出なければ生きていられませんでした。ですからそこで生き延びた自分は表通りを歩ける人間じゃないという後ろめたさがあって、売れっ子になって世間からもてはやされると、なんともいえないやりきれない気持ちになるんですよね。

 

・せめて自分の書くものでほんの一瞬でも浮世の苦しみから離れていただければいい。私にできることは、そういうささやかな与楽しかないんです。

 

・世の中の闇や心の闇を、淡い光でもいい、ほんの一瞬でもいいから照らしてくれる。仏教というのはそういう光だと思いますし、私自身もそのような光に導かれて歩いていきたいと願っているのです。

 

 

 

前野隆司氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・日本は小さな島国で、資源もない。だから、科学技術の力で新しい物を創り、工業の力で国を繫栄させなければならない。物が豊かになれば、国も豊かになる。

子供の頃からそのような話を聞かされてきた私は、「自分がこの日本を豊かにするんだ!」と理想に燃え、将来はエンジニアとして生きていこうと決めました。

 

・日本人の生活への満足度、つまり幸せ度は、一九五〇年代と最近ではほとんど変わっていなかったのです。

いくらよいカメラやロボットをつくっても、人々を幸せに貢献していないとしたら、自分はエンジニアとして何をしてきたのか。足元を掬われた思いがしました。

 

・現代人は、日々の時事的なニュースや娯楽的な話題ばかりに関心が行き過ぎ、お互いに夢や目標を語り合ったり、感謝の言葉を伝え合ったりという、幸せによりよく生きていくための根本的な会話をあまりしなくなっているのです。

ですから、お互いに褒め合う、感謝の言葉を伝え合う、そうした日々のちょっとした意識づけでみんなが幸せになれるのです。