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村上和雄氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集~江崎玲於奈先生と私~

 

こんにちは

クローバーです^^

 

今回は村上和雄氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集~江崎玲於奈先生と私~です^^

 

【目次】

 

 

 

江崎玲於奈先生と私

・(顔見知りの新聞記者に勝てる方法はないかと聞いたところ)(筑波大学の学長選の)評議員票はそんなに簡単に動かない。彼らの多くはボス教授で、研究に対して理解のある学長が来ることを嫌っている。だから彼らの態度は変わらないだろう。そこで、戦い方としては、若い人を巻き込んで、一回目の選挙で圧勝することを目指しなさい。そうすれば、ボス教授もその結果を無視できなくなる。唯一、勝てるのはそれしかない、と。

 

・私(江崎玲於奈氏)はよく若い研究者に、冗談半分なのですが、ノーベル賞受賞のため、しては「いけない」五つの条件を話します。

 

一、従来の行き掛かりにとらわれてはいけない。若者はせっかくの飛躍のチャンスを失うからです。

二、大先生にのめり込んではいけない。自由奔放な若さを失う。

三、何でも溜め込んではいけない。若者でも脳のメモリー容量には限界がある。無用のものは捨て、新知識のためのスペースをあける。

四、戦うことを避けてはいけない。若者は独立精神と勇気を失う。

五、不感症になってはいけない。自然の驚異に感動する初々しさを失う。

 

・筑波大学は日本の大学のモデル校として出発していただけに、その筑波大学が変われば日本の国立大学が変わるという強い思いがあったのです。そして、その思いは(学長選の)選挙期間を通じて、日本の国立大学を変えよう、世界に向かって科学や技術を発信する基地をつくろうと、次第に膨れ上がっていったのでした。

 

・(筑波大学の)学長選を本気になって取り組んでいたのは、私を含めてごく少数に過ぎませんでした。しかし、その僅かな人間が本気になることで学内の教官千数百人を動かしたのです。学長選に勝ちたいという思いから、いつしか日本を変える、世界を変えるといった意識レベルに高まったことで、それに見合うだけのパワーが出てきたように私は思うのです。

 

 

 

御代替わりに思う天皇家の存在

・皇居にあるご自宅にお招きいただきました。そもそもなぜお招きいただけたのか、その主たる理由はついぞ分かりませんでしたが、江崎玲於奈先生ともう一名を加えた民間人三名でお邪魔させていただいたのです。

両陛下のご自宅といっても、なかなか想像できないと思いますが、こぢんまりとした印象で、とても質素に生活されているのが分かりました。

 

・ご公務は実に様々ですが、歴代の天皇にとって最も大切なお務めがあります。それは「祈り」です。天皇家に古くから伝わる宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)は、いまも毎年恒例の儀式だけで年間約二十回、その他毎月の旬祭など含めると、その数は四百回を遥かに超えるといいます。

 

・日本列島が天災に見舞われるようなことがあれば、「この天変地異は私の不徳の致すところです」という思いのもと、命懸けの祈りを捧げられるのも歴代天皇のお務めでした。それは天照大御神をはじめ八百万の神へのお詫びであって、「私」のない祈り、つまり無私の祈りなのです。

 

・日本の天皇はまさに利他の象徴と言える存在ですが、二千年以上にわたって国家の中心的地位におられるというのは世界にも他に例がありません。なぜそれが可能だったかと言えば、天皇が権力を持たなかったことが理由として挙げられるでしょう。世界の歴史を紐解けば分かるように、権力を手にしたがゆえに滅びたケースは枚挙に遑(いとま)がありません。

 

・飛鳥時代に伝来してきた仏教が日本に根付いたこともその一例で、日本は古くから神道があったにも拘らず仏教を取り込んだのです。世界における宗教対立を見れば、一国における宗教の共存は容易でないことが分かりますが、日本においては神道と仏教が見事に融和するに至りました。

これを実現させたのは、神道の奥深さもさることながら、十七条の憲法に定められた「和を以て貴し」にあるように日本の「和の心」だと言えるでしょう。この「和の心」こそが日本民族の精神であって、「大和魂」の根幹を成すものなのです。

 

・「大和魂」という言葉が最初に出てくる文献は紫式部の書いた『源氏物語』であって、主人公の光源氏が息子の夕霧を大学に進学させる理由について述べたセリフに見ることができます。

「才(ざえ)を本(もと)としてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方(かた)も強うはべらめ」

ここでいう「才」とは中国伝来の漢字の知識で、「大和魂」とは日本人としての知恵や才覚を意味しています。

 

・「和魂漢才」という言葉もあるように、日本では中国伝来の学問や知識などを単に鵜吞みにするのではなく基礎的教養として取り入れ、日本の実情に合わせて取捨選択すべきだと考えられてきました。

 

・日本では神々に対する信仰は森から始まったと言われてきました。森は木の実や水を育みます。人々は自分の命を養ってくれる大自然に感謝し、さらなる恵みを祈ったことでしょう。

 

・縄文時代から弥生時代に移っていく過程で、弥生人は縄文人がずっと大切にしてきた森林を次々に水田にしていきました。それでも弥生人も森林に対する畏敬の念は持っていたのでしょう。地域ごとに最も特徴的な植物形態が認められるところは「神と祠」を祀ったそうで、それが今日の「鎮守の森」になったというのです。

 

・稲作は決して楽な仕事ではありません。しかし、そのきつい作業をみんなで分かち合うことによって、「お互いさま」という相互扶助の精神を育んできたのでした。