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三谷順氏・五木寛之氏・横田南嶺氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

 

こんにちは

クローバーです^^

 

今回は三谷順氏・五木寛之氏・横田南嶺氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^

 

【目次】

 

 

 

三谷順氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・(父親の平澤興氏は)お酒がちょっと入ると、誰か一人を捕まえて「俺はいい子か?」と聞いてくるのもよくある光景でした。「お父様は世界一です!」と言って褒めると、気をよくしてそこにいる全員に聞いて回る父の姿などは、普段お付き合いをされていた方々には、おそらく想像もつかなかったことでしょう。

 

・(京都大学総長就任後に直面した学生運動に対する処分を発表せざるを得ないことや発表直後に学生たちが総長室に押しかけ何時間も団体交渉が行われ)疲労困憊しているはずの父は泰然として、しかも力強くこう答えたのです。

「僕はね、打たれれば打たれるほど強くなるんだよ」

そして、すっと立って自分の部屋に入っていきました。私はその後ろ姿にどんな絶望の中にあっても耐えようとする力強さをまざまざと感じたものです。

 

・「自分の不幸を感謝できるようになってこそ」人間といえる。幸福は与えられるものではなく、自分の手によって獲得するものだ。たとえ幸せが与えられても、ある人間はいつの間にかそれを逃してしまう。しかし、ある人間は不幸の最中にあっても自ら力強く幸せを勝ち取るに違いない。だが多くの人間は、際限なく襲ってくる苦しみに打ちひしがれ、美しい人間性を失い、醜い人間になる。重なる苦しみを嬉々として耐えていく人間の中から、幸せは生まれてくるものではあるまいか(平澤興氏)」

 

・「私は六十年かかって様々な苦しみに真正面から体当たりしてつくり上げてきたこの目、自分の魂そして心を信じる。僕も随分いろいろな苦しみに遭遇してきた。しかし決して敗北はしなかった」

一見、平凡そうに見える父でしたが、その心の中には人間の持つ根本的な悲しみとともに、深い洞察力や人間に対する無限の愛、神を信じる力強さが漲っていたのです。

 

・「幸せなどどういうものなのか分からない。この年(六十歳)になっても分からない。いついかなる時でも、感謝と祈りを込めて生きていく」(平澤興氏)

 

・実際、父の歩みを辿ると、そこにはいくつもの苦しみが待ち構えていました。父はその苦しみと真正面から向き合うことで、強い自分をつくり上げていったのです。そしてそれを可能にしたのは、努力以外の何物でもありませんでした。

 

・父は子供の頃から勉強が好きだったそうですが、勉強法は暗記が主体で、一冊の本を丸暗記したというから驚かされます。ノートを取るにも、一字でも間違えるとノートを買い替えて、初めからやり直したというのです。貴重品だったノートを無駄にしないためにも、父はものすごい集中力を発揮してノートを取ったのでした。

 

・何度となく苦しみを乗り越えてきた父(平澤興氏)ですが、その折に遺された言葉の中でも、例えば「人生はにこにこ顔の命がけ」「生きよう今日も喜んで」などは一読すると楽天的に感じるかもしれません。しかし、父の言葉がいまなお人々の心を惹きつけてやまないのは、生きる喜びとともに、人生の苦しみや悲しみなどあらゆる感情が網羅され、しかもそれが溶け込んでいった末に生み出されたものだからだと私は思うのです。

 

・父(平澤興氏)は与えられるだけではなよしとせず、それを還元するために自ら与える人、つまり徳の人になったのでした。そしてその徳に引き寄せられるように、仕事や人生において思いがけないような運が次々と巡ってきたのではないかと思います。

 

 

 

五木寛之氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・(戦禍を潜り抜けてきた世代の人たちは)焼け跡にも花は咲く、少々のことがあっても人間は生き延びていくんだという思いは、僕の世代の一つの特徴としてありますね。

 

・平成という時代にどういう印象を抱いているかという質問を新聞などから盛んに受けるんですね。けれども、平成っていうのは色が淡いというか、印象が薄いんですよ。昭和という時代が非常に強烈で、濃い色をしていただけにね。

 

・人口配置では、全く戦争に参加したことがない若い層が非常に分厚くなってきていて、そういうのを見ていると、時々自分が時代に取り残されたような気がすることも確かにあります。世の中というのはそういうふうに流転していくものでしょう。

けれど僕は変わってきたことを嘆くよりも、むしろこれから先どんなふうに変わっていくんだろうと、ドキドキしながら見守る気持ちのほうが強いですね。あまり昔のことは振り返らないんです。

 

・書店に行っても中村天風さんのような方のご本がいつも並んでいる。禅の世界もまさに長い長い歴史の中で様々なものが生き続けています。ですから、世の中というのは全部変わっていくのではなく、何かその中に変わらないものが一本通っている。そういう印象を僕は持っているんですけども。

 

・僕自身を顧みてみますと、幸運などというものはないといつも思っているんです。ネガティブ・シンキングと思われるかもしれませんが(笑)、人はどのみち百年もすれば土に還る。人生なんて知れたものと、あまり過剰な期待をせずに物事に取り組むところがあります。

 

・我われは知識だけではなく、有形無形の様々なものを大きな流れの中で受け継いで存在しているのであって、自分の個性というのも一人で築いたものではないことを自覚しなければいけない。

 

・例えば、大谷翔平という人があれだけ体格に恵まれているのは、やっぱり両親が一所懸命に気を遣って育てたことも大きいと思います。そういう意味では自分一人の努力ではない。様々な人間関係の中でバトンタッチされているものかもしれないと思うんです。

「お蔭さまで」というものも、そういうところから生まれてくる言葉だと思います。

 

・僕はちゃんと大学を卒業していたらテレビ局とか新聞社に入っていたかもしれませんが、授業料が払えずに大学を途中でやめざるを得なかったために、自分の能力を切り開いていく自由業に就かざるを得ませんでした。そう考えれば卒業できなかったこともありがたい、禍転じて福と成すという感じで何とかやっていますけれども

 

・違う生活に強く惹かれつつ我慢してサラリーマン生活を続けている人も多いし、それを投げ出して新しいことを始める人もいる。いろいろですけども、やっぱり何か自分の中に自ずから芽生えてくるものがあると僕は思います。

 

・運命とよく混同される言葉に天命という言葉があります。二つはよく似ているようで、どこか大きく違う。運命という考え方は、どこか一方的な受け身の考え方ではないでしょうか。これに対して天命とは、進んでそれを肯定する、認めて加味する感覚があります。そして僕は五十を過ぎた頃から、この天命という言葉を強く意識するようになりました。

 

・「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますね。僕はそれを自分流に「人事を尽くさんとするはこれ天命なり」と勝手に読んでいるんです。天の命によって自力を尽くそうとするんじゃないかと考えて、読み方を変えているんです。

 

・自分の内側を表現しようとか、偉大な思想に近づこうとか言うことではなくて、人生に疲れた、あぁもう嫌だと思っている人に、自分の書いたもので一瞬でもいいから慰めをもたらしたい。仏教でいうところの抜苦与楽というのが大事だと思いますね。

 

・僕は仕事ができる間は生きたいと思っているんです。まともな文章が書ける間は、仕事をしていきたい。政府に言われなくても、働ける間は働く。働けなくなった時はこの世から引退する時だから、一日でも長く働きたいと思っていまも連載やっているし、連載をやっている以上は迷惑をかけられないから生きていくんです。

 

・明治の文豪は、樋口一葉が二十代で亡くなっているし、森鴎外も夏目漱石も皆早く世を去っていて、七十代以上で書いていた作家というのはなかなかいなんですよ。ですから、人生百年時代のささやかな証言者として、僕は天命の許す限り仕事を続けていきたいですね。

 

・僕もよくお話しするんですが、光を求めて太陽を見上げても目が眩んで見えません。足下に目をやると黒い影がそこに落ちている。影があるのは、自分を背後から照らしている光があるからなんだと。

ですから、世間は暗い話や深刻な話に満ちているようですけれども、背後にはそれを照らす明るい光がある。そのことを信じて、少しでも前向きな気持ちで歩んでいきたいものですね。

 

 

 

横田南嶺氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・師匠(円覚寺先代管長・足立大進老師)は五木(寛之)さんと同じ昭和七年の生まれで、「我われがいくら偉そうなことを言っても、戦争の弾の下を潜ってきた者には敵わない」とよく申しておりました。五木(寛之)さんのご本を読ませていただいて、やはり戦中戦後を体験された方には敵わないと痛感しました。

 

・私より若い世代には傷痍軍人なんて言っても全く通じませんし、戦争の悲惨な記憶を留めていた新宿や上野の街も綺麗になりましたね。綺麗になったのはいいけれども、一方でそういう記憶が失われていいのかという思いもある。

 

・私は「この道より我を生かす道なし。この道を行く」という思いできょうまで修行に臨んでまいりました。

私が出た大学は教員養成のための大学でもありましたので、誰もが教職を取るのが当たり前でした。けれども、私は坊さんになると決めたからには逃げ場があってはダメだと思って教職は取りませんでした。いまに至るまで僧侶であるという以外は何一つ資格を持っておりません。

 

・学生時分に田舎の親から言われて運転免許を取ろうとしたことはありますが、そのころ師事していた小池心叟という老師に「そんなものは取らなくてもいい。修行をすれば車が迎えに来るようになる」と言われて思い止まりました(笑)

その時は、そんな暇があったら修行をしろという戒めだと単純に受け止めていたんです。けれども後になって実感するようになったのは、そうして横道に逸れず一所懸命に修行することで徳が積まれるということです。その徳がよい運をもたらすのだと、老師は若い私を諭してくださったのではないかと思います。

 

・どうも天命というと、どこか外から降りてくるような感覚があるんですけれども、ずっと受け継がれてきたものだと捉えたほうがすんなり来るような気がしますね。

 

・私は仏教とは全く関わりのない家庭で生まれ育ちました。父親は鍛冶屋の職人で、後に鉄工所を営みますが、そんなに学問があったわけではありませんでした。

そんな父親から唯一受け継いだのは、一所懸命働くことでした。

 

・坐禅に出合ってからは、もう自分はこれをやり抜くんだと思い定めて坐禅だけをずっとやってまいりました。途中で肩書がいろいろ変わりましたけれども、私はただ坐禅をして終わればいいとずっと思っているんです。

 

・人様のために何かお役に立つというのは、一番の人徳であり、それによってよい運がもたらされるものと私は思います。

 

・最後にこの苦しみの多い世を生きていくうえで皆さんにぜひ知っていただきたいのが、浄土真宗の妙好人として知られる浅原才市の言葉です。

「海には 水ばかり 水をうけもつ底あり さいちには 悪ばかり悪をうけもつ阿弥陀あり」と。

人生が苦痛に満ちているように見えるのは、それを支えている底がある、大いなるものに支えられているから、苦痛も感じることができるのだと言っています。このことを自覚すれば、苦痛に満ちた人生を生き抜く力になるのではないかと思うんです。

 

・坂村真民先生にも同様に、「陰あり 仰げば月あり」という短い詩がございます。影というのは月があるから見える。真っ暗闇には影はないんだよと。

我われが苦を自覚しているということは、必ずそれを支える底もあるし、照らす光もある。人生というのはそんなふうにちょっと考え方を変えればガラっと変わってくると思うんです。。