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イネの全遺伝子解読プロジェクト他・村上和雄氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

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こんにちは

クローバーです^^

 

今回は村上和雄氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^

 

【目次】

 

 

 

サムシング・グレートに教えられたこと

・懸命な努力、自分や仲間を信じる心、そして絶対にやり遂げる強い意思があれば、必ず天や運は味方してくれるということを、私は折に触れて自分に言い聞かせてきました。

 

・世界に先駆けて解読に成功できたのは、天が味方してくれたとしか思えないような幸運に恵まれたからに他なりません。

その要因として、「この研究は日本チームが成し遂げるんだ」という研究員全員の熱い思いが、そうした結果を呼び込むことに繋がったのだと私は思うのです。

 

・(イネの全遺伝子暗号解読を)世界に先駆けて解読に成功できたのは、天が味方してくれたとしか思えないような幸運に恵まれたからに他なりません。

その要因の一つとして「この研究は日本チームが成し遂げるんだ」という研究員全員の熱い思いが、そうした結果を呼び込むに繋がったのだと私は思うのです。

 

・笑いによって糖尿病患者の血糖値がどう変化するか見てきました。その結果、笑いによって食後の血糖値上昇を抑えられることが分かったのです。また、笑いによって免疫活性を高めたり、新陳代謝を促進する遺伝子がオンになることを突き止められたのは大きな結果でした。

 

・私は生命科学の現場で研究を続ければ続けるほど、生命の本質は人間の理性や知性だけでは説明できるものではないと感じるようになりました。

 

・私は研究者としてのトップクラスに位置するほどではないと思っていますが、思いがけないところで天や運に味方されたことで自分の仕事も納得いく仕事をさせていただくことができました。

科学者らしからぬかもしれませんが、いつも心の中では「ありがたい。これは決して自分の力だけでしたことではないんだ」という感謝の気持ちを持って歩んできました。

 

わが心の師・平澤興

・「人生はにこにこ顔で命懸け」

これは私が一番好きな平澤(興)先生の言葉ですが、その意味するところは誰でも分かります。しかし、本当に命懸けの努力をしてきた人間でなければ、この言葉は出てきません。

 

・学者というのは、得てして難しい話を難しくしようとするものです。

ところが、平澤(興)先生は違いました。人間いかに生きるべきかという深い真理を、誰にでも分かる言葉で話される。

私はそこに平澤先生の凄味を感じるのです。

 

・毎朝二時に起き出して、夜十時頃まで原書と格闘。これによってどんなこんなにぶつかろうとも、それに立ち向かって一所懸命に努力することが、平澤(興)先生にとっての習慣になったのでした。

 

・「本当に最善を尽くせば、失敗をしてもさることはない。思い煩うのは、最善の努力を尽くさないからだ」という(平澤興先生の)言葉がいまも時折思い起こされます。

 

・その命の働きに対して感謝の思いを抱き、謙虚に生きること。これこそが人間の原点です。

どんなに立派な仕事を成し遂げても、自分は偉いんだと思い込んだり、人の話を聞き入れなくなったとしたらどうでしょうか。周囲に不快な思いをさせるばかりか、いつしか人々の反感を買い、せっかくの能力も十分に活かしきれなくなってしまいます。

 

・私たちの細胞は一日に二%ずつ入れ変わって行きます。二%というと少ないように思われるかもしれません。

しかし、数にすると約一兆個もの細胞になります。さらに一年も経つと、私たちの身体は全く新しい細胞を持った生き物へと変わってしまうのです。

 

・私たちのこころは環境の変化によって刻々と変わって行きます。感動的な本を読んだり、人との出会いによってなど、突然強い日がパーッと差すように視界が大きく開けていくのです。

 

・思うに人の一生はこころの成長のためにあると言ってもよく、そのためには年齢にかかわらず、常にこころの門戸を大きく開けておくことが大切です。

その点、平澤(興)先生は精神的生命、すなわちこころと魂の成長を修正追い求め続けた方でした。

それは「情熱とは、年齢ではなく燃えるこころの力である」という言葉に象徴されています。

 

・「結局、約百四十億の脳神経細胞を活動させる。これをひと口で言えば努力以外ないのであります。その子供ができなければできないままで、やる気に火をつけることができるかどうかだと思います。だからビリで学校を出ても伸びる人は伸びる」と語り、子供のやる気を起こさせることこそ真の教育であると語った平澤(興)先生。

 

・やる気になる対象は何でも構いません。火の玉のように努力する道を与えることさえできれば、学校の成績に一喜一憂することはないと平澤(興)先生は言い続けたのです。

 

・かのアインシュタインもまた、「宗教抜きの科学は足が不自由も同然であり、逆に科学抜きの宗教は目が不自由も同然である」という言葉を残しました。

 

 

 

学恩深き恩師への尽きぬ思い

・京都大学の元総長である平澤興先生が私のこころの師であるとすれば、生涯の恩師と呼べるのは京都大学名誉教授の満田久輝先生をおいて他におりません。

 

・「人のため、世のために役立つ研究や仕事をする」という満田先生が掲げておられた学問信条もそうした思いの表れであって、実際の研究でも基礎研究と応用研究のどちらか一方に偏ることなく、両方を進めていくという方法を採られていました。

 

・満田(久輝)先生は仕事に対して非常に厳しい一面をお持ちで、たとえ同僚に対してでも、間違っていると思ったら皆の前で堂々と批判することも厭いませんでした。

「勝負は負けるな」とは満田先生がよく口にされていた言葉で、研究に対する姿勢は溢れんばかりのファイティングスピリッツに満ちていたのです。

 

・普段は黙々と研究に打ち込まれ、私たちに対して「地道な研究がどこで大発見に結びつくか人間には測れない。植物に含まれる各種ビタミンを定量するというような地味だが学問発展に不可欠な仕事をコツコツ続けることが必要である」と述べられていたものです。

私は満田先生のこの学問に取り組む真摯な姿勢に、最も大きな影響を受けたといえるでしょう。

 

・アメリカには世界各国から有能な人材が集まってくる半面、永久就職という発想がないため、競争が極めて熾烈なのです。そのため、もし教授がしっかりしていなければすぐ見切りをつけて、他の教室に移っていく。(中略)ゆえに教授たちは常に陣頭指揮を執って、人一倍働かざるを得ないというわけです。

 

私の研究人生を決めた「酵素レニン」との出会い

・人生も研究も出会いが大切で、科学の世界においても偶然に類した出会いが数多く存在します。さらに科学上の大きな発見や進歩の大半は、実は偶然の出会いから始まっていると言っても過言ではありません。大切なことは、一つの偶然を単なる偶然と思わず、これは人間を超えた力による導きであると感じ取れる感性を持っているかどうかにあるのです。

 

・(レニン研究の成果がニュースになったことで)それまで「おまえは英語が下手だからクビだ」と日頃から私に悪態をついていた人間が、「おまえはこの大学にとって非常に大切だ」と言い出す始末ですから、人間というのはなんともいい加減なものです。

 

・実際に室長を拝命するにあたっては、実質的な権限を大幅に委譲するなど周囲に協力を仰ぐとともに、責任はあくまで私が負う形を取りました。さらに、私個人としては、それまでの倍の働きをしようと心に誓ったのです。

 

ヒト・レニン全遺伝子暗号解読の軌跡

・酵素レニンはもともと腎臓にあるとされてきましたが、一九七八年には脳内にもレニンが存在し、血液上昇に影響を及ぼしているということが、同じ研究室の広瀬茂久博士によって明らかにされました。

そこで私たちは脳内にあるレニンの正体を解明するために、新たに脳内のレニンを完全に純化しようと考えたのです。

 

・研究の現場においても主観的な思い込みが大きな力を発揮することはままあることです。「絶対にできる」という思い込みのようなものがなければ、行動となるエネルギーすら湧いてきません。信ずる行為は大きな力を生み出すのです。

 

・相手(ヒト・レニンの全遺伝子の暗号の解読で先発だったパスツール研究所やハバード大学)は横綱級だから負けて当然と諦めることもできたと思います。しかし、私は諦めませんでした。競争には負けるかもしれません。それでも自分たちが研究を続けていれば、後世の研究に僅かでも資することはあるはずだ。そう信じてとにかく前進あるのみと心に決めたのです。

 

日本の威信を賭けた「イネの全遺伝子解読プロジェクト」

・田植えから収穫までの約半年間に、イネのは人間や動植物から吐き出された二酸化炭素を吸収し、酸素を放出しているのです。農学者の計算によると、その放出量は日本だけでも年に二百億立方メートルにも及び、酸素ボンベに換算すると安く見積もっても六兆円相当分になるとか。

 

・田んぼは私たち日本人にとっての原風景と言えるでしょう。古来、稲作が行われたて来たことによって私たち日本人が得てきた精神の安らぎや、心を癒すといった効果は、とてもお金に換算することはできません。

 

・日本人のアイデンティティや日本文化を守るためにも、海外に先駆けて、日本人の手によってイネの全遺伝子暗号を解読するのが筋ではないか、という思いが私の心を強く揺さぶったのでした。私の第二の研究人生はこうして幕開けしたのです。

 

・研究に国境がありません。しかし、研究者には国境があります。日頃は忘れていても、何かの折に「俺は日本人だ」という意識が蘇ってくるのです。だからこそ、私はイネだけは何としてでも日本でやりたいと強く思ったのです。

 

・アメリカというのは何をやるにしても実に戦略的で、食糧問題が重要だと考えれば、それに関する基本的な情報を自分たちの手で握ろうとする。つまり、世界食糧戦略の一環としてイネに注目したというわけです。

 

・私にとって幸運だったのは、イネについては日本で何とかしなければと思っていた方々が、政治家にも、そして当時政権与党だった自民党にも多数いたことでした。どうやら私の言い値(研究予算の100億円)がそのまま検討対象になったようで、最終的には四十億円という大型予算がついたのでした。

 

・私が筑波大学の研究室でコツコツとやっていた頃とでは、プロジェクトの規模からいってあらゆる面で大違いでした。現場のリーダーシップにも問題が生じ、それが作業にミスを誘い、足の引っ張り合いに繋がる。そのために一時は空中分解か、というピンチを迎えたこともありました。

 

・神代の時代から、イネは日本人にとって、また、皇室にとっても特別な植物でした。しかし、そのことを私たちは普段意識をしてはいません。いまにして思えば、神話から続く稲作の文化が日本人の遺伝子にしっかりと組み込まれているような気がしてならないのです。私がイネの全遺伝子暗号読解に真剣になれたのも、そういった目に見えないものが後押ししてくれたように思うからです。

 

 

 

遺伝子組み換え技術はどうあるべきかを考える

・「種子法」廃止は、これまで培ってきたイネの研究成果はもとより、日本人が守ってきたイネの文化までもが、グローバル化の名のもとに海外企業に渡る可能性を孕んでいるのです。

 

・注意しなければならないのは、植物に微生物の遺伝子を組み込むような場合です。自然界における遺伝子の変化を大きく踏み越えてしまうからに他なりません。

 

・遺伝子組み換えん関するマスコミ報道を見ると、客観的で公平なものであると言い難いものがありました。例えば、生産者への情報はGMO(遺伝子組み換え作物)の長所ばかりを謳ったものに偏っている一方、消費者向けについては短所ばかりを強調して不安を煽り(しかも科学的根拠に乏しいものも多い)、恐ろしいモンスターを生み出す「フランケンシュタイン食品」というイメージを流布・定着させたように思います。

 

・特定の害虫に対してのみ効果があるタンパク質を生産するよう改良されたGMO(遺伝子組み換え作物)は、害虫に対する殺虫剤を使用する必要がありません。なぜなら、そのタンパク質が特定の害虫にとってのみ毒になるからです。これについては標的となる害虫以外の昆虫には毒にならないことはもちろん、環境に与える影響も少なく、人間や動物が食べても何の害もないことは既に実証済みとなっています。

 

・イネゲノムの読解が産業として、大きなメリットを生み出すのは、遺伝子組み換えによる品種改良の分野です。しかし、日本では消費者の「GMO(遺伝子組み換え作物)アレルギー」が予想以上に強かったために、商品化に取り組もうとした企業さえ、すっかり及び腰になってしまいました。食品開発にバイオ技術を取り込もうとする会社がなくなってしまったのです。

 

・バイオサイエンスやバイオテクノロジーを含めた科学技術は、まさに日進月歩です。世界中の科学者が日常交わしている挨拶は、「What's new?」(何か新しいことはないですか?)です。「知らないことを知りたい」「不可能を可能にしたい」という素朴な思いは、科学者のみにとどまらず、人間の普遍的な願いと言えるでしょう。

 

・今日、私たちが日常的に口にしている食品で、純粋な種を維持した自然のものは、厳密な意味では一つも存在しないのです。遺伝子レベルで見れば、すべてに人間の手が加わっているからです。

 

・新しい技術が人類の幸福に寄与するためにも、我われは国や人種、職業などあらゆる垣根を越えて叡智を集め、地球人類すべての幸福と発展を考えていかねばならないと私は思うのです。

 

伊勢神宮に見る日本の「食」の原点

・日本人が培ってきた大自然に対する畏敬の念というものは、日本特有のものです。文化を知ることは、そうした畏敬の念を彷彿させ、ひいては日本人としての自信と誇りを深めることにも繋がっていくのです。私自身もそうでした。

 

・古来、日本人は食べ物について、自分たちの力で獲得したものではなく、神からの恵みとして与えられてものとして考えてきました。例えば神話の世界では、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨する際に、天照大御神(あまてらすおおみかみ)から「稲穂の力で日本の国を平和に治めなさい」と告げられています。これは稲穂が最も尊い食べ物であることを示しており、日本はこの教え通りにコメを主食とすることで今日に至るまで続いてきたと言えるでしょう。

 

・伊勢神宮で最も基本的な祭と言えば、毎日朝夕に二回、天照大御神をはじめとする百二十五の神々に食事を用意し、お供えする「日別朝夕大御饌祭」です。(中略)

驚くべきは、この「日別朝夕大御饌祭」が少なくとも千五百年余りにわたって毎日欠かすことなく行われてきたという事実です。これ一つとっても日本の「食」の原点は伊勢神宮であることがお分かりいただけるのではないでしょうか。

 

・伊勢周辺には「おかげさま」という言葉が根づいていきました。四季が巡る中で、ある時期が訪れると作物が実り、我われはその恵みを受け、ご飯が食べられる。そうやって健やかに平和に過ごせることを神様に感謝する心、それこそが「おかげさま」なのです。

 

・神事のすべてもまた、感謝に始まり感謝に終わることを旨としてきました。それは神への感謝であって、広くは大自然への感謝の気持ちが込められているのです。神様と食を分け合う心を大切にしてきた伊勢神宮が、日本の「食」の原点を担う神社であることの意味もまたここにあると思うのです。

 

・「イネ」という言葉のうち、「イ」は命、「ネ」は根っこ、であるして「稲魂(とうこん)」という言葉もあるそうです。(中略)

私が日本は威信を賭けて「イネ全遺伝子解読プロジェクト」に全力投球できたのも、そういう目に見えない力に後押しされていたのではないかと、私はいまさらながらに思うことがあるのです。

 

・日本人はコメを単品で食べることは稀で、味噌汁や豆腐、納豆といった大豆食品と同時に摂取するという習慣があります。実はこのコメと大豆の組み合わせが大変よく、理想的なタンパク質栄養価になっていたのです。

 

・家庭においても、「いただきます」「ごちそうさま」の心が失われつつあるようです。海外にはこういう言葉はなく、日本特有の表現であって、そこに込められているのは、様々な感謝の気持ちに他なりません。コメや野菜をつくってくれた農家の方々への感謝、いまこうして自分が食べ物を食べられる幸運への感謝など実に様々です。

 

・動植物の命を食するということは、太陽、水、空気、地球、そして大自然の偉大な働き(サムシング・グレート)によって生成されたものをいただくことを意味しています。つまり食事の前に唱える「いただきます」とは、すべての命を生み育てているサムシング・グレートへの感謝の気持ちが込められていると言ってもよいでしょう。食事の度に感謝を込めて挨拶するという習慣は、日本ならではの美しい文化なのです。