ビジネス書籍や経営哲学や経営学などに関する話

ビジネス書籍や経営学や経営哲学など学んだ事を書いて行きます

童門冬二氏・三戸岡道夫氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

こんにちは

クローバーです^^

 

今回は童門冬二氏・三戸岡道夫氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^

 

【目次】

 

 

 

童門冬二氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・トヨタの豊田章一郎さんや日産の久米豊さんが社員教育のテキストとして万単位でこの本(『小説 上杉鷹山:童門冬二著』)を購入してくださったんですね。

同じように野村証券、第一証券などにも大量購入していただきましたが、その頃は自動車業界も証券業界も低迷していて、(上杉)鷹山にその改革のヒントを求めていたんです。

 

・好奇心だけは今も旺盛ですね。日々のニュースになる事件や出来事の中には必ず小説のヒントがあるんです。最近では公文書の改竄だとか忖度だとかいろいろなことが言われましたでしょう。それを見ながらタイムトンネルを逆に潜っていって比較するんですね。「あの人物ならここまで問題をこじらせないで、うまく処理したに違いない」と。

 

・歴史の表舞台に出ることのなかった人たちを掘り起こすことに力を入れてきました。鷹山もその一人で、彼は私が掘り起こすまでは世に知られていなった存在なんです。

鷹山が師事した細井平洲のような儒学者や私塾などに関心を向けるようになったのはそこからですが、作家としてこのような人物を発掘していく仕事はこれからも続けていきたいと思っています。

 

・(徳川)慶喜はあまりに偉すぎて、一緒にお酒を飲んでもらえないようなところにいる人ですね(笑)。その人物像は複雑で私にもよく分からない。大変頭がよくて世界情勢を的確に把握していた人ですから、三戸岡(道夫)先生がおっしゃるように「日本をどうするか」という独自の政治観を持っていたことは間違いないと思います。

 

・(徳川慶喜の)周囲の幕臣たちは慶喜のような知力がなく、しかも日常処理しなくてはいけない課題に追われて、慶喜が目指しているところまで手が届かなかったのではないでしょうか。

もちろん、大政奉還を支持した大久保忠寛、勝海舟、横井小楠、坂本龍馬など高い知力の人物はいましたが、政治的パワーまでなり得なかったようですね。

 

・ベトナム戦争の時、帰国した青年たちが一時期、地域で白い目で見られていたでしょう。私も戦争が終わって東京に戻ると同じ現象に出くわした。それでぐれちゃった。

その頃は渋谷、新宿、池袋の闇市から闇市を渡り歩いて、安いお酒と伝助博奕にうつつをぬかす毎日でした。

 

・これから都政で起こりうる問題に関して信長や秀吉、家康であればどういう手を打つかを考え、それを地方行政に広げていこうと思ったんです。

 

・純文学の作家として一度は断筆した私がなぜ歴史小説を書き始めたかというと、歴史専門の出版社の編集者がある時、都庁を訪れてきて「新選組をどう思いますか」と聞くんです。「新選組は身分に関係なく皆を武士にして士道を重んじた。僕はあれば身分解放集団だと思っています」と話したら「じゃあ、それでいきましょう。それを書いてください」って(笑)そこからですね。

 

・毛利元就の倅の小早川隆景は大変好きな武将の一人ですが、その隆景が「すぐに分かったという人間に分かった例(ためし)がない」と言っているんです。上から命じられたことを「分かりました」とただ犬のように従う部下はやっぱり駄目なんですよ。命令には理不尽なものもありますから、力を持っている部下であればきちんと聞き返して、合意をしながら話をまとめていくことが求めまれます。

 

・ある時、急ぎの文章を作成していた部下が慌てて筆が震え、墨がポタポタと落ちるのを見た隆景は「急ぐほど落ち着いて書け」と諭します。口述を書き留めているわけですから、逆に言えば「急ぐことほど、ゆっくりと話せ」と自分自身への戒めでもあったわけです。

 

・私が(二宮)金次郎の言葉から選ぶとしたら「積小為大」「一円融和」の二つを挙げたいですね。

私は若い頃を振り返って、「大」ばかりを狙っていたきらいがありますが、この年になって身の回りの小さなものを積み上げる努力を疎かにしてきたな、と常々反省しています。

九十歳を超えたいまは、どこまでも「小」に徹していくよう心掛けています。

もう一つの一円融合は、これは世界が平和になる原理ですね。そのためには推譲、つまり自分の持っているものを差し出す気持ちがなくてはいけないし、金次郎の報徳思想を世界に広めていけば、もっと世界は平和になると思います。

 

・歴史上、「この人は」と思う人物は皆そうだと思うんですよ。どこまで経っても今の自分に満足せず人生を完結していない。しかも、死んだ後に誰かから褒められようなどというそんなみみっちい私心がないんです。

 

・AIの浸透によって銀行員がいらなくなるんじゃないか、という話もよく聞きます。しかし、商いの一番の原点は仁義礼智信の五常ですよ。渋沢栄一が明治六年に国立第一銀行を設立した時の「論語と算盤」の精神であり、近江商人の「三方よし(売り手よし、買い手よし、社会よし)」の精神なんですね。

そういう昔から一貫した法則さえしっかり守っていれば、人間、決して道から外れることはないのではないでしょうか。

 

 

 

三戸岡道夫氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・バブル崩壊後の日本ではあちこちで改革が叫ばれ、米沢藩の藩政改革をテーマにした『小説 上杉鷹山』は企業経営者や行政マンの間で大変な人気でした

 

・民のことを第一に考えて改革を実行した名君といえば、やはり鷹山です。米沢藩主として破産寸前の藩の改革に努め、節倹の励行や財政改革、殖産興業、新田開発などによって目覚ましい改革の成果を挙げていますから。

 

・歴史上の人物には何かしら影があるのですが、特に(徳川)慶喜の場合、表面上と実際の姿とは大きく違うように私には思えてならないんです。

徳川将軍として幕末の日本全体を俯瞰して大名家の動きや意識、社会とのかかわりなどを見ていった場合、慶喜は「これから日本をどう纏めたらよいか、侍はどうやって生きていったらいいのか」と真剣に考えたはずです。その発想があったからこそ、国を分断させることなく明治維新が実現できた。

極端な言い方をすれば、慶喜には日本を救うという発想以外にはなかったのではないでしょうか。

 

・(徳川)慶喜はたまたま一橋家に生まれたというだけで、最初から将軍になる意思はなかった。つまり自分が大政奉還を決断すれば、天皇を中心とした統一国家が実現し、イギリス、フランスという外敵に向き合うことができる。そう考えたと思うんです。

 

・(徳川)慶喜は天下の将軍でありながら権力に執着がなかったという点を見ても、もっと評価されてしかるべき人物だと思います。

 

・(当時勤めていた)銀行でポジションが上がるにしたがってリーダーはいかにあるべきかという本を自然と読むようになり、童門(冬二)先生の『小説 上杉鷹山』もそんな中で巡り合ったんです。

 

・私が『小説 上杉鷹山』を読んだのは現役の銀行員の頃でしたが、経営陣の一員としてその本を拝読しながら武士も殿様も銀行の仕事も根本は皆同じではないかと感じたんです。

結局、組織とは部下のモチベーションをいかに高め、団結させ目標を達成していくかにあるわけでしょう。そして、そのためにはリーダーは領民や部下を愛することが求められる。

 

・人間関係は相手がいかに偉い人でも、口先だけの人はついていこうとは思いません。そこはやっぱり人徳と実践なんですよ。(上杉)鷹山から教えられた人徳と実践の大切さは、それに続く(二宮)金次郎の研究によってより強い確信へと変わっていきました。

 

・ライフワークである二宮金次郎の言葉から選ばせていただきたいと思うのですが、報徳の思想を形成する四つの柱である「至誠」「勤労」「分度」「推譲」の中で、金次郎の農村改革を成功させたのは、この「分度」です。

一般に分度と言えば、農村が一所懸命に働いて無駄遣いをせずに節約する、という閉鎖的なイメージがありますが、金次郎の特徴はこの分度を農民だけでなく藩主に対しても設定したところにあります。

 

・金次郎は生涯で約六百の村々を復興したと言われていますが、桜町と同様、他の村々でも藩主にも分度を設定しているんです。

この事実はあまり歴史書には書かれていませんが、金次郎の改革成功のポイントは実はここにあったのではないでしょうか。