こんにちは
クローバーです^^
今回は野口芳宏氏・占部賢志氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^
【目次】
野口芳宏氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集
・私がいまの教育を踏まえて強く思うことの一つは、「公」という考え方が失われているということです。敗戦前の日本の気概が「滅私奉公」だったのに対して、いまは「滅公奉私」。公を滅ぼして自分が好きなようにやればいいというように公と私の関係が逆転してしまった。
・横の文化が王座を占めるようになって、親子関係や師弟関係、年長者を敬うという古くからの縦の文化が崩れてきた。「仰げば尊し」のような素晴らしい歌が卒業式で歌われなくなったのもその象徴でしょう。
・教育は結局は教師の魂にあり。それが教育の本質なんです。
それにつけ加えれば、私は人づくりをリードしてこなかった文部科学省にも大きな責任があると感じています。問題が表面化する前に慌てて、対処療法的な後追いで制度を改革する。これでは根本的な解決にはなりません。
・「教育基本法」第九条には「絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない」と書いてあります。教師にとって研究と修養は車の両輪であり、どちらもなおざりにしれはいけないものです。が、現状は研究はやっても修養はやらない。
・学校でやっている研究は専ら他者改善です。他者を変えるためのものであって、自分を育てるための修養ではない。私は千葉県の教育委員になった時に、教師自身の修養の必要性を強く主張したのですが、なかなか相手にされなかった思い出があります。
・いまの文科省がそのものに自尊感情というものがないのかもしれませんね。教育の「根本は何か」という発想が乏しいために、ハウツーばかりに終始している。国家百年の大計がないんです。
・(教育の土台は何だと考えているか聞かれて)やはり誠実さと勤勉さ、信頼、愛国心といったものを挙げたいと思います。私たちの生活は国家によって支えられています。国を失えば生活も人権もないわけですから、国家を愛する心は当然必要です。この根本を忘れて個人の権利や個性ばかりが尊ばれる風潮はやはり異常です。
・子供中心主義というのは本当に怖いんですよ。子供の本質、根本は未熟ということです。未熟なんだから常識だとか通念だとか、いろいろなことを教えていかなくてはいけない。子供は個性ある人間として完成しているという考え方は、完全に間違っています。
・教育は人間形成、授業は学力形成。これが私が考える本質です。教師は四十五分間、五十分間という授業の中での目標を明確にして子供たちの学力を形成できなくてはいけません。
・古典を読むのは、まさに人や教育者としての「元徳」を学ぶのと同じですよ。苦労して読み込んだ内容が先生方の血肉になっていく様子が目に浮かぶようです。
・私は日本の教育を語る場合、忘れてはならないのが、戦後の占領政策だと思っています。いわゆる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)によって日本人は精神的な価値観を骨抜きにされました。
・教育の目的はいい子供に育てるのではなく、どんな大人にするかということにあるんです。
だから、家庭が駄目だ、保護者が駄目だと言うのは天に唾するのと同じです。そんな大人しかつくれなかった学校教育だったのだということですねその認識が教育界にはない。
・「人は人によって人になる」というカントの言葉がありますが、人が人になるには人によらなくてはいけないんです。
・私は教育が教育として成立するために必要なことが三つあると考えています。一つは「信」、二つ目は「敬」です。信じられない、尊敬もできない教師の話など誰も聞いてはくれません。これを私は”信敬衰弱”と呼んでいます(笑)
占部賢志氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集
・大変面白いのは、外国人の目によって日本の教育の素晴らしさが分かってきたのも平成なんです。阪神・淡路大震災の時、諸外国から報道関係者や調査団が避難所に訪れて、あの過酷な状況の中で人々がゴミの分別をきちんとやっている姿を見て大変感動し驚くんです。
・エジプトでは崩壊寸前の教育を再建するために、大統領自ら日本の学校掃除に注目し、いま学校に掃除を導入しています。学力世界一のシンガポールも頭だけじゃ駄目だというので、一昨年から日本の学校掃除を取り入れています。
・いじめ問題がこれだけ多発するのは、どこに原因があるのか。答えは簡単で、いじめる子を叩き直さないから問題が深刻化するんですね。いじめられる子のケアばかり考えても何の解決しない。その所を指摘すると、皆ハッとするわけです。
・いままで二十か国程度を調べてわかったのは、アジアの子供はどの国も教師に対して「信」と「敬」の念を強く抱いていることでした。貧しく経済的には大変な国の子供でも「自分たちがこの国を担うんだ」という意気に燃えている。そういう姿勢が交流する日本の子供の胸を打たないはずがありません。