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クローバーです^^
今回は疋田啓佑氏・深尾凱子氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^
【目次】
疋田啓佑氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集
・(佐藤)一斎といえば、一般の人は小泉元首相が紹介した「少(わかく)くして学べば則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死すとも朽ちず」という『言志晩録』の言葉を思い出されるでしょうが、一斎には数多くの名言があり、『言志四録』は名言の宝庫と言えます。
・実践が必要だと考えるのは陽明学に限りません。朱子学を含めて儒学は行動、実践の重要性を説いているのですね。
・(佐藤)一斎の教育はとても厳しくて、とにかく読書をたくさんさせていたようです。初めて学ぶ人が読まなくてはいけない本を挙げた「初学課業次第」を見ると、例えば四書五経の暗誦と言ったことが書かれています。
(中略)それが終わったら、今度は「経史子集」です。『荀子』『韓非子』『孫子』などから始まって『史記』『後漢書』『資治通鑑』といった歴史書まで山のような課題をこなさなくてはいけない。とにかく量が多いのです。
しかも、一斎は「ただ字面だけ追うような学問ではいけない」と言っています。独観といって一人で読んで心で理解しなさいと。
・私がいくら頑張って走ってもマラソン選手になれないのと同じように、何でもただ闇雲に努力すればいいというものではない。誰にでも役割があるのだから、自分に分に応じて精いっぱいの努力をすべきだというのが、一斎の考えです。
・宿命、役割と言われても誰にも分かりませんから、そこで大切になってくるのが、立志、志を立てるということなんです。
「学は立志より要なるは莫(な)し。而(しこう)して立志も亦(また)之(こ)れを強(し)うるに非ず。只だ本心の好む所に従うのみ」
志を立てることは重要だが、その志は他から強いられて立てるものではなく、その人の本心の好みに従うべきだという自由な立場を一斎は主張しているわけです。
・『言志後録』の中で「自彊(じきょう)息(や)まざるは天の道なり。君子の以(な)す所なり」と述べています。自分で努力することが君子としての道だというわけです。
・この年まで生きてきて、いま心に響く言葉をあえて一つ挙げるとしたら、『言志耋録』の次の言葉でしょうか。
「居敬の功は、最も慎独に在り。人有るを以てこれを敬するは、即ち人無き時に敬せず。人無き時に自ら敬するは、即ち人有る時に尤も敬す」
常に敬に居る修行をするには、独りを慎む修行をするのが最もよい。人がいる時にその人に敬意を抱いたり、慎み深くすることはできるが、人のいない時にそうしないことだってある。独りの時でも敬意を抱き慎み深い人は、人がいればそれ以上に敬意の心を持って対処するはずである。
独りの時に何を考え、どう行動していくか、そのことは私自身に対する戒めでもあります。
・中国思想で言う「気」とは物質の根源を指す言葉です。一斎が年齢を重ねる度に一層仕事に打ち込む姿はまさに、その気がいきいきと躍動する姿と重なります。宋学ではこれを活発発地とも言いますが、そういう躍動感をもって生を全うしたのが一斎の人生でしょうし、私もまたかくありたいと思っているのです。
深尾凱子氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集
・(『言志四録』を)読み始めたばかりの頃、「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜をうれること勿(なか)れ」という『言志四録』ではよく知られた言葉が心に響きました。人生には山あり谷あり、いろいろな辛いこと悲しいことがあるけれども、信念をもって自分の信じた道を歩みなさいという教えだと私はこれを受け止めたのです。
・改めて『言志耋録』を読み返してきました。(佐藤)一斎がこれを纏(まと)めたのは八十歳から八十二歳までの三年間です。『言志録』が四十二歳から五十三歳にかけて、『言志後録』が五十七歳から六十六歳にかけて、『言志晩録』が六十七歳から七十八歳にかけて、いずれも約十年で纏められていることを思うと、この晩年の執筆に掛ける凄まじさにはただ圧倒されます。
・一斎の直接の弟子ではありませんが(中略)西郷隆盛も一斎の影響を受けた一人ですね。『言志四録』に収められた一千百三十三条の中から百一を選び「手抄言志録」として座右に置いています。
・「人は当に自ら吾が心に礼拝し、自ら安否を問うべし。吾が心は即ち天の心、吾が身は即ち親の身なるを以てなり。是を天に事(つか)うと謂い、是れを終身の孝と謂う」
人は常に自分の心を礼拝し、心が健全かどうかを見つけなくてはいけない。自分の心は天から与えられたものであり、体は親から与えられたものである。そのことを自覚するのが天に仕える道であり、生涯を通しての孝である、という意味です。
・(佐藤一斎の教育は)しっかりと心の眼で読みなさい、知識として知っただけではなく、体得できるまでになりなさいということですね。
・画家だった父は「臨終の時に、ああ自分の人生は面白かった」と思えたら最高だと申しておりましたが、そういう人生を全うしたいものだと思っています。