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太宰治著『走れメロス』他・鈴木秀子氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

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こんにちは

クローバーです^^

 

今回は鈴木秀子氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^

 

【目次】

 

 

 

太宰治著『走れメロス』

・強い決心をしたにもかかわらず、いつの間にか弱さにとらわれてしまった、という経験は誰にでもあるはずです。弱さをいつまでも引きずらないための秘訣は「致知」が説いているような、自分がいかに生きるべきかというテーマを常に奥底に刻んでおくことです。

 

・本心から納得できる人生のテーマを心に刻んでおくと、普段は自覚できない人間の無意識が働くと言われています。

(中略)無意識を味方につけておくことは、いざという時にとても大切なことなのです。

 

・中には財産を貯え、社会的地位を高めることが人生のテーマという方がいらっしゃるかもしれません。その目的を達成した先に何があるのか、そのさらに先には、と静かに思いを巡らせてみると、最後には空虚感だけが残るのではないでしょうか。

自他ともに幸せになる道を求めてこそ無意識が働き、真の幸福に導かれると言えます。

 

・様々な試練に遭遇しながらも、しっかりしたテーマを持って歩めば最後には幸せになり、またその幸せが周囲をも感化していく。『走れメロス』はそのことを私たちに教えてくれているのです。

 

・大切なことは、自分の意に沿わない行為を相手がしたとしても、それを許すことです。メロスとセリヌンティウスの友情が深まった理由は、お互いの弱さを認め、許し合うことにありました。

許すのは相手ばかりではありません。疑いの心や、人を裏切り沿いになる弱い心を持った自分自身をも、また許すのです。

自分を責めてばかりで認めようとしない人は、決して他人を認めることはできません。

 

・自分の弱さを受け入れた上で、目の前の問題を乗り越えようとする時は、その人にとって飛躍のチャンスでもあるのです。

 

三好達治著『涙』

・私たちは祖先からの命の繋がりによって生かされています。両親にも両親がいて、その両親にもまた両親がいます。そのように遡っていくと、私という一人の人間の背後には悠久の歴史を連綿と紡いできた無数の先祖の存在があることが分かります。

さらに、その奥の命の根源には、私たち人間を生かし育んでくれる大いなるもの(大宇宙)が存在しています。

 

・私たちは決して一人で生きているわけではないのです。そのことに静かに思いを馳せていくと、いつしか深い感謝の思いが込み上げてくるはずです。

 

・私たちは生きていく上で様々な悲しみに直面します。しかし、それをただ悲観的に受け止めるのではなく、大きな気づきや成長の機会ととらえることで人生は一段と味わい深いものになるのです。

 

・時にはもだえ苦しみながらも、何とか悲しみを受け入れていこうという心の姿勢を保ち続けるうちに、その心が住んでくる瞬間が訪れます。その時、純化された悲しみがその人にとって一つの大きな力に変わっていくのです。

 

・悲しみほど人を強くさせるものはありません。悲しみを力にして生きている人は、同じような悲しみを味わっている人たちの思いに心底共感し、寄り添うことができます。お互いの心が響き合い、人間同士の絆を深めることができます。

 

・芸術家に限らず、後の世に大きな足跡を残した人の多くは、深い悲しみを味わいつくした後、それを力に変えた経験の持ち主です。悲しみに潜んでいる澄み切った心が、人の心を打つ作品や活動を生み出すのです。

 

・マリアが二千年を経たいまなお、世界の人々から聖母と仰がれる理由が、母親の姿に接することで、ようやく理解することができました。マリアこそ、とことん悲しみを味わった女性たちの象徴でもあったのです。

 

・言葉の力を感じるのは、文学作品に限ったことではありません。私たちは日常生活の中でも多くの言葉に出合います。その中で人生を開花させる言葉に出合えた人は幸せです。

 

・私の知人のケースでいえば、小学生の時に一所懸命に絵を描いていたところ、そばに寄ってきた先生に「おっ、できたな」と声を掛けられたといいます。先生としては何気ない励ましのつもりだったのでしょうが、この言葉は彼の中で生涯生き続け、絵が好きになったばかりか、長じて経営者になった後も、壁にぶつかる度に、乗り越える自信を与えてくれていました。

 

 

 

ヘンリー・ヴァン・ダイク著『一握りの土』

・人生に何の夢や希望も見出せない、まさにそのような状況の時に、どれだけ感謝して踏ん張れるかが大切です。

その時こそ大きなチャンスが到来する前触れでもあるのです。

 

・長い苦しみを堪え忍んだ後、予想だにしないかたちで、本当の幸福へと導かれることがあります。この寓話(ヘンリー・ヴァン・ダイク著:『一握りの土』)が伝えてくれる大きな希望のメッセージはそれです。

 

・苦しみの最中にある時の心の持ち方です。いつか訪れるであろう幸福をただ追い求めようとするのではなく、いまこの瞬間の幸せを噛みしめることもその一つと言ってよいでしょう。

 

・苦しみの真っ只中では幸せなどなかなか感じられないものです。しかし、周囲の環境がどうあれ、私たちは既に満たされています。空気や水、日々の食物、服など生きるのに必要なものが与えられ、さらに言えば、こうして人間として生きていること自体が奇跡的なことなのです。

 

・自分が満たされているという自覚を取り戻した時、誰かの笑顔や励まし、鳥のさえずり、花の香りなど些細なことにも喜びを見出すことができます。

小さな幸せを感じ取る心が、人間に備えられている苦しみを乗り越える力を引き出してくれます。

 

・苦しい時は歯を食いしばるのではなく、無理にでも笑顔を作ってみましょう。笑顔をつくるだけで、不思議と心は上向きになっていきます。そして「私はいま苦しんでいます」「耐え難いです」「息が詰まりそうです」と、まるでテレビの実況中継のように、第三者の立場から自分自身を見つめてみるのです。

 

・傍からは大変恵まれているように思われている人でも不満が絶えない人がいます。一方で、貧しい家に住み決して豊かではない生活を営みながら心の満足を得ている人たちもいます。幸せは決して周囲の条件ではなく、その人の心の持ち方次第です。

 

・人間がお互いに繋がって生きていること、自分は決して孤独ではないことに喜びや幸せを感じる心は様々な困難な壁を乗り越えていく上で大きな力となることでしょう。

 

・日々の生活の中で小さな喜びや幸せを感じ取る訓練を重ねる。実りのある人生はそこからスタートすると私は考えています。

 

カリール・ジブラン『子どもについて』

・親は子どものを生むことができますが、生命そのものをつくり出し、我が子の体を設計したのか。そんなことはできません。生命は大自然から授かったものであり、それだからこそ私たち一人ひとりは大変尊い存在でもあるのです。

親はまずここのところをよく考える必要があります。

 

・我が子を自分の所有物だと思い込んで思う通りに動かそうとし、数多くの不幸な出来事をそこから生み出すことになってしまうのです。

 

・あまりの期待と重圧によって子どもが心身に不調をきたしてしまったり、反対に虐待や暴言によって致命的なダメージを負ってしまったり、私たちの身近なところでもいろいろな悲しい出来事が起きています。これらの原因を突き詰めると、親が子どもを自分の所有物と思い込むことにあります。

 

・親は我が子にどのように接するべきなのか。ジブランは「子どもには愛を注ぎなさい」と言っています。もちろん、この愛とは人間のエゴから来る盲目的な愛ではありません。子供を無条件に愛し、すべてを受け入れ、天真が発揮できるよう育んでいこうとする真実の愛です。

この愛がなくては子どもは健全に育つことができません。

 

・「考えを押しつけてはいけません」「子どもの魂は明日の家に住んでいて、あなたは夢のなかでさえそこを訪れることはできないのです」という言葉には、子どもは親とは全く違う人格を持った独立した存在であることを教えられます。

 

・子どもは自分の力で人生を生きていかなくてはいけません。我が子をどれだけ溺愛しようとも、我が子が重たい病気になろうとも親が代わりに子どもの人生を生きることは絶対に出来ないのです。

 

・人間は誰もが幸せになるために生きています。幸せになるのが私たちの人生の究極の目的です。だとしたら、自分たちとは別の魂の家に住み、別の明日を目指して歩み続けている我が子が心からの幸福感を得られているだろうか、自分たち親はそのために必要な応援と愛を与えてあげているだろうか、と時々そのことを考えてみる必要があります。

 

・敬愛の念を持って育てられた子どもの心には、自己肯定感が育まれていきます。自己肯定感とは自信満々になったり、自惚れて傲慢になったりすることではありません。自分の生き方はこれでいい、と自分で自分を認め、そこにどっしりと腰を落ち着けることができる心です。

 

・日本の高校生にアンケートを取ると、残念ながら自分を好きだという答えは十%程度に過ぎません。他の国々よりも遥かに低い数字です。そうなってしまった大きな理由は、子どもたちが他人から目ばかりを気にし、他人から褒められないと自分は駄目だ、生きるている価値がないというマイナスの意識に陥っていることにあります。

 

・私は各家庭で子どもを褒めること以上に認めてあげることをぜひ心掛けていただきたいと思います。

 

・大切なことは、感謝の習慣を身につけることです。手が動く、足が動く、息ができる、食事がいただける、こういう一見当たり前に思えることに感謝することで幸福を感じる力が次第に高くなっていきます。

 

・子どもが天からの預かりものだとしたら、親自身もいい加減な生き方はできません。我が子が自由に育っていく様子を見届けながらそれを応援するには、時には厳しい忍耐が求められ、自省し成長する努力が大事になってきます。

 

・たとえ時間や場所はなくても、誰かの役に立てる方法が私たち人間には与えられています。それは祈ることです。(中略)祈りには私たちが思ってもみないような癒しの力があるのです。シスターとして祈りの人生を送ってきた私は、そのことを強く確信しています。

 

 

 

カリール・ジブラン『苦しみについて』

・人生には時として苦しみや悲しみが襲ってきますが、それに押しつぶされてしまうか、そこに喜びの種を見出せるかは、その人の受け止め方次第です。深い知恵に富んだカリール・ジブランの詩は、苦悩の中に生きる私たちに大きな力を与えてくれます。

 

・私たちは人生の中で喜びだけを味わっていたい、悲しみや苦しみは避けて通りたいと誰もが思います。それはいわば人間の生存本能であり心の習性のようなものです。

 

・物事には必ず二つの側面があり、悲しみ、苦しみのように思える出来事に遭遇しているとしても、そこに必ずそれと同じだけの喜びが隠れていると(カリール・)ジブランは言っているのです。

 

・苦しみは、そのほとんどが自ら選んだもの。

 

苦しみは、あなたのなかの医者が、あなたのなかの病んだ自分を治すためのに出す苦い薬。

 

その医者を信じて、出された薬をなにも言わずに飲みなさい。

 

カリール・ジブラン『よろこびと悲しみについて』

・私たちは人生の中で様々な出来事を体験しますが、それをどのように受け止めるかはその人次第です。誰かによって不幸を貶められたと感じることもありますが、幸、不幸を決めるのは、往々にして自分の勝手な思い込み、決めつけであることが少なくありません。

 

・状況を受け入れて心豊かな人生を生きるには、どのような環境にあろうとも、そこにある「恵み」を見抜く目を持つことです。

 

・大切な肉親と死別したとしても、時間とともに亡くなった人からいただいた愛情や懐かしい思い出を力に変えていくことで、より豊かな人生が開けて行きます。自分の中に苦しみや悲しみを乗り越える力が与えられていることに気づくチャンスともなります。

人間にとって心の奥底から湧き上がる満足感は、このように苦しみや悲しみを乗り越えて喜びに変え、そのことによって自分の成長を実感する時に生まれます。

 

・私が言う恵みというものは決して特別なものではありません。恵は私たちの生活の中のどこにでも満ち溢れています。問題はそのことに気づくだけの感性があるかどうかです。

 

・大きな試練が訪れた時、いままで当たり前と思っていた一つひとつのことにじっと意識を向けてみてください。きっとそこに新しい気づきが得られ、生かされていることへの実感と感謝の思いが湧いてくることでしょう。

 

・普段から当たり前のことに感謝する訓練ができている人は、苦しみや悲しみの渦中にあっても、きっと喜びも種を発見することができると思います。

 

ドロシー・ロー・ノルト『心をひらこう』

・心をひらいて日々の出来事に向き合えば、どれだけ楽に、明るく生きられることでしょう。しかし、頭では分かっていても、なかな心を開くことができないのが人間の弱さでもあります。

 

・私たちが心を閉ざしてしまう大きな理由は、心をひらけば何が飛び込んでくるか分からない、自分の弱点を知られてしまうかもしれないという恐怖心が伴うからです。

 

・人と人との絆というものは、自分の弱さをさらけ出して心をオープンにした時にこそ生まれます。心を閉じたままでいては人との繋がりは生まれず、人生の本当の喜びを味わうこともできません。

 

・「心をひらく」とは、自分の中にある弱さ、相手の中にある弱さをお互いに認め、許し合いながら、ともに幸せになっていこうとする姿勢に他なりません。