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藤嶋昭氏・三木卓氏・矢野弘典氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

 

こんにちは

クローバーです^^

 

今回は藤嶋昭氏・三木卓氏・矢野弘典氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^

 

【目次】

 

 

 

藤嶋昭氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・彼(マイケル・ファラデー)は非常に謙虚で金銭欲も名誉欲もなく、科学の魅力を人々に伝えたい一心で、精力的に公演活動を行いました。現在私は年に百回ほど、全国各地の中学校、高校や企業などで科学の面白さを伝える出前授業を実施していますが、ファラデーから受けた影響が大きいことは言うまでもありません。

 

・中国古典を読むようになって、その教えに共感したのも、少年の頃に(マイケル)ファラデーの謙虚で誠実な生き方に触れたことと無関係ではないでしょう。

 

・私が中国古典に出逢ったのは、東大の教授を定年退職した六十一歳の時でした。JR東海と新幹線内での光触媒の活用について共同研究を始めたことがきっかけです。

当時社長だった葛西敬之さんは無類の読書家として知られ、中国古典にも造詣が深く、私は葛西さんの部下の方を通じて古典の魅力を教えていただきました。

 

・中国古典の勉強を進めているうちに、興味深い事実に気がつきました。科学者が遺した言葉には、中国古典の教えと共通する点が多々あるのです。

 

・私が科学に魅せられるきっかけになった(マイケル)ファラデーの書物にはこんな言葉があります。「自ら光り輝くロウソクは、どんな宝石よりも美しい」

宝石は明かりがなければ輝くことはできませんが、ロウソクは自らが燃焼することによって光り輝き、周囲を照らすことができる。

 

・「汝、君子の儒となるなかれ(論語)」(真実に道を求めて学ぶ君子を目指し、単に知識を極めて立身出世を求めるような小人にはなるな)

学びの目的は、自己を磨いて世の中のために尽くすことにあり、そうあってこそ、この世の中に生を享けた甲斐があるものです。

 

・「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しき者に如かず」

何事もまずは知ることから始まり、そしてその分野を好きになることが大切。最終的にはその面白さを実感できる段階に至ることが一流の道だという教えですが、これは、どの分野においても言えることだと思うのです。

 

・数ある古典の言葉の中で、私が最も好きで、励まされてきた初唐の詩人・王勃の言葉を最後に紹介したいと思います。

「物華天宝、人傑地霊」

豊かな産物は天の恵みであり、優れた人間はその土地の霊気、すなわち雰囲気が育むという意味で、中国では正月に家の門の前に掲げるめでたい言葉だそうです。

 

・私自身も長年教育分野に携わる中で、環境づくりには心血を注いできましたが、よき環境がよき人材を育て、よき成果を生むことを身を以て体感してきました。よき環境とは、互いに切磋琢磨し、各自が最高のパフォーマンスを発揮できる場と言えるでしょう。

 

 

 

三木卓氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・僕が『方丈記』の「一間の庵、自らこれを愛す」という一文に感じ入ったのは、狭い居住空間に人生の喜びを見出した(鴨)長明に大きな驚きを感じたからだった。僕にとって居住空間の狭さは呪うべきものだったから、長明の達観した心境に対して子供心に深い印象を覚えたのである。

 

・今年八十三歳になる僕だが、自分を客観的に観察し、その弱さを正直に吐露する(鴨)長明の人間くさい一面にたまらない魅力を感じる。誰より僕自身がナマぐさい人間だから。

 

・京都でも大火やつむじ風、大地震などが次々と起きた。(鴨)長明はその悲惨な状況や人々の動揺を冷静な目で見てつぶさに活写している。これほど優れた描写力は当時の文献として瞠目するものだ。まさに日本の三大随筆と呼ばれる所以である。

 

・江戸時代の空気が抜けきれない明治期において、漱石も鴎外も物事を偏見なく深く正確に捉える近代人としての意識を示し、あれだけの名作を残した。彼らがどのようにして近代精神を確立していったのか興味は尽きないが、そこにそれまでにあった小さな枠を越えようとする強い好奇心や興味があったことは間違いない。

 

・僕は『方丈記』を別にすれば、あまり古典を読んだことのない人間だから大きな顔はできないが、例えば漱石の『門』『それから』『吾輩は猫である』といった百年前の作品を読むことを薦めたい。近代文学の息吹に触れることできっと何か感じるものがあるはずだ。

 

・年をとった僕はいま新書本を読みやすいので好んで読んでいる。経済や法律、イスラム文化など、そこには文学部出身の作家として生きてきた僕が、これまで覗いたことのない世界がある。多くは僕よりも遥かに若く、子供の世代の人々が書いている。その人々が新たに得た知を教えてもらって喜んでいる。

 

・老年には興味しか戦う武器がない、というのが僕の思いだが、そうやって日々の発見を楽しみながら人生を終えられたら本望だ。そんな生き方もいいのじゃあないか。(鴨)長明が求めたのも、またそういう世界ではなかっただろうか。

 

 

 

矢野弘典氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・年を重ね、立場が上がっていくごとに、自分に注意してくれる人が減ってくることを痛感し、かねがね親しみのあった『論語』に答えを求めようと思いたったのでした。そして、読むからには原文に接しようと、体当たりで臨んだのです。

 

・「読書百篇意自ずから通ず」という諺がある通り、百回も読めば何か掴めるだろうと思い、繰り返し『論語』を読み進めました。初めは通読に六か月かかったものの、二度目は三か月、慣れた頃には三十分で一通り読め、白文で理解できるまでになっていました。しかし、百回読み終えて感じたのは、残念ながら、自分の人間としての未熟さでした。

 

・(論語を)二百回読み終え、ようやく「読書百篇意自ずから通ず」の真意を知りました。つまり、人生体験を積むごとに理解度も深まり、本当によい書物を学ぶ道程に終わりがないということです。

 

・自分の人生や仕事の現場で生かせるような学びを求めていたため、私が最も範したのは渋沢栄一の『論語講義』でした。

 

・評論家の山本七平氏から「俗解」という素晴らしい言葉を教わりました。専門家ではなく俗人の解釈のことを指し、本の解釈は自分の環境に照らし合わせて行うという考え方です。この言葉に勇気を得、自分流に『論語』を解釈し、活用するようになりました。

 

・有名な「十有五にして学に志し」の章句にしても見方を変えると、孔子は三十歳までには信念をもって世に立つことができず、四十歳までは迷ってばかりいて、五十歳になってようやく天命を知ることができたと言っているのです。そう考えると、孔子も初めから偉かったのではなく、年を重ねるごとに成長して言ったことが分かり、雲の上の遠い存在ではなくなります。

 

・子責が孔子にどんな人物が「士」、すなわちリーダーだと言えるか質問したところ、第一に「自分の行いを省みて恥ずるようなことはしない。外国(社外)へ行って君の命を辱めない者」を挙げました。つまり、人前に出て恥ずかしい思いをしないだけではなく、自分の良心に照らして恥じない行動をする。そして社外で「さすが○○社の社員だ」と相手に思わせる振る舞いをすることが真のリーダーに値すると真っ先に答えたのです。

 

・孔子は人徳と才能がどちらもなければリーダーにはなり得ないと、才徳兼備の重要性を語っているのです。

 

・成果はもちろん大切ですが、徳望なきリーダーに人はついてこないことを、改めて知る必要があるのでしょう。

 

・私の目指す日々の生き方で、参考になったのが孔子の詩と音楽に対する考え方です。「詩に興り、禮に立ち、楽になる」(リーダーの人間形成は詩を学ぶことによって始まり、礼によって確立し、音楽によって完成する)

 

・単に教養として『論語』を学ぶだけでは自分の人生を変えることはできません。生活や仕事の中で具体化していくことで、『論語』の言葉が自分のものとなり、習慣や態度、ひいては人生までをも変える力になるのだと思います。

 

・『論語』などの古典は、ただ教養として学んでいる間は、真の学びは得られません。自らのあり方を省みて、真剣に学ぶ時に初めて、素晴らしいアドバイスをくれるのだと思います。私にとって『論語』を学ぶことは、過去の大先輩、大師匠に謦咳(けいがい)に接しているようなものです。

 

・古典に学ぶことにハードルを感じている方は、ぜひ好きな言葉を見つけ、それを書きだし、自分の経験に照らし合わせて何遍も読んでください。そこから、洋の東西を問わず、広くて深い古典の世界が拓けていくはずです。