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阿純章氏・横田南嶺氏の名言・格言集

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こんにちは

クローバーです^^

 

今回は阿純章氏・横田南嶺氏の名言・格言集です^^

 

【目次】

 

 

 

阿純章氏の名言・格言集

「感動」という言葉はあっても、「知動」という言葉がないのは、やはり人を動かすのは知識ではなく、感じたものだからではないかと私も思います。

私は、うちの寺で運営する幼稚園で十年近く子供たちと向き合ってきましたが、彼らの心に伝わるのはやっぱり何かに共感したこととか、面白いと思ったことであって、感動こそが教育の一番の中心だということを実感しています。

(阿純章氏・2018年7月)

 

大人も真剣に生きてはいるんでしょうけど、過ぎ去ったことを悔やんだり、先のことを心配したりして、なかなかいま、ここに生きられていない。

真剣というよりも深刻という言葉のほうが近いと思うんです。

けれども子供は深刻ではなく真剣で、いつも楽しく、屈託なく遊んでいる。

真剣と深刻というのが子供と大人の世界を分ける言葉のように私は思うのです。

(阿純章氏・2018年7月)

 

後から聞いたんですが、(天台宗の宗務総長まで務めた)父は私が小学校に上がる時に目の前に地球儀をボンと置いて日本を指さし、「この小さな国の中のことだけを知るか、それとももっと広い世界を知りたいか?」と私に聞いたそうです。

私が「広いほうがいい」と答えたので、キリスト教の学校に入れることにしたらしいんです。

(阿純章氏・2018年7月)

 

考えてみれば、お釈迦様も組織仏教をつくるために修行なさったわけではありません。最澄さんだって官僧でありながら独自の仏教を切り開かれましたし、堀澤(祖門)先生も天台宗の重鎮でありながら孤高の道を歩んでおられます。

それぞれに偉大なぼっちの方々なんだと思いまして、私も自分なりにぼっちの一歩一歩を歩んでいけばよいのではないかと思ったわけです。

(阿純章氏・2018年7月)

 

子供たちはどんなところにいても、いま、ここの主人公です。大人は立身出世とか、お金儲けとか、いろんな目的を持ちますが、子供の姿を見ていたら人生の目的なんか別に持たないで、ただ元気よく遊んで意欲を発揮している。

仏様の世界に一番近いのは子供であって、彼らのようにいま、ここにただ意欲を発揮することが、本来の人生の目的ではないとかと感じたんです。

(阿純章氏・2018年7月)

 

子供は楽しんでいても決して堕落するわけでなく、次へ次へと成長していきますから、いまここに力を尽くすことが次の力になるんだろうと思います。

(阿純章氏・2018年7月)

 

人生の局面の一つひとつも何かの手段だと思うと取るに足らないものに見えてしまいますけど、それ美しい人間の花の大切な一つだと思って、いま自分があるいているこの一歩一歩を慈しみながら生きていくことが大切だと思います。

(阿純章氏・2018年7月)

 

花というゴールはずっと先にあるのではなく、いま歩んでいるその足元にあると思います。

(阿純章氏・2018年7月)

 

 

 

横田南嶺氏の名言・格言集

賊機(ぞっき)というのは盗み取る働きで、盗むっていうと普通は悪い意味に使いますが、禅に出てくる盗みはいいんですよ。

(中略)何気なく話をしているうちに、その人がいままで抱えた悩み、苦しみが「あらっ、どこかへ行ってしまった」と解消する働きが賊機です。

(横田南嶺氏・2018年7月)

 

私もかつては随分悩んだ時期がありました。若くして師家になったものですから、当時は重圧に押しつぶされそうになり、とても自分には務まらないと思い、とりあえず逃げるのは明日にしてきょう一日頑張ろうと。そう自分に言い聞かせながらやっていました。

(横田南嶺氏・2018年7月)

 

長い間、この粗末な食事(修行で毎朝食べるお粥に梅干し、たくあん、みそ汁)をいただくのも修行だと思っていた。耐え忍んだ先にいいことがあると考えていたわけですが、本当は既に最高の環境にいて、最高の食事をいただいていた。宝の山にいながら宝に気がつかずに、苦労して修行していると思い込んでいた自分の浅はかさに気付いたんです。この世界で四十年やってきて、やっとですよ。

(横田南嶺氏・2018年7月)

 

私もいろんなところで指導をしていますが、自分はこんなに辛い思いをした、苦しい思いをしたという気持ちで話をしても面白くないし、伝わるわけがありません。

こんなに素晴らしい体験をさせてもらった、これを伝えないなんてもったいないという気持ちに転換していかないとやっぱりダメですね。

(横田南嶺氏・2018年7月)

 

いまを楽しんで生きること。

この転換がとても大事だと思います。苦しみに耐え忍んだ先に花を咲かせるというのではなくてね。ただ、それは一歩間違うと、じゃあ努力しなくてもいいのかという誤解を生むけれども、そうじゃない。やっぱりある程度の階梯は必要です。

(横田南嶺氏・2018年7月)

 

私が禅の道を志すきっかけになったには、松原泰道先生から「花が咲いている。精いっぱい咲いている。私たちも精いっぱい生きよう」という言葉をいただいたことが原点なんですが、長く思い悩んでいた私が明るくなるきっかけを与えてくださったのも松原泰道先生でした。

(横田南嶺氏・2018年7月)

 

明るい顔をして生きていくことですよ。人間は明るい顔、笑顔で人生に美しい花を咲かせることができるんです。

(横田南嶺氏・2018年7月)