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河村京子氏・大塚笑子氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

 

こんにちは

クローバーです^^

 

今回は河村京子氏・大塚笑子氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^

 

【目次】

 

 

 

河村京子氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・エステティックは机を綺麗にするだけでなく、その人の人生をも変える力を持っているんですね。

そのため、施術をして終わりではなく、エステティシャンの人間性を育て、お客様はに寄り添ったサービスを提供しなければなりません。(中間)

人生を変えるというと大げさなようですが、肌が綺麗になり自信を持てた人、幸運が次々に舞い込んできた人など大勢います。

 

・私も「美しく生きるために」というテーマで講演をしているんですけど、それでは美容のことだけではなく、私自身の経験を踏まえて、女性が花を咲かせる生き方や思考法などを通じて、内面の美しさを磨いてもらえるように取り組んでいます。

 

・母に説教されるのは癪なので辞められない。続けるしか選択肢がなくなった時、私は人生で初めて「人に認められたい」と思ったんです。

これまでさんざん迷惑を掛けてきたんですけど、この美容部員という仕事で周囲の人に認めてもらおうと。

そのために人の三倍の成果を出すと決めました。

 

・(売上が人の)二倍では注目されないけれども三倍なら絶対に目に留まる。安直ですが総思ったんです。

そこから仕事の姿勢がガラッと変わりましたね。どうしたら売れるか必死に考えるようになり、拭き掃除をしながら先輩の接客の仕方を盗み聞きして、営業スキルを学んでいきました。

そうした努力が幸いし、一~二年後には本当に人の三倍の売り上げを出せるようになったんです。

 

・美容部長という肩書をいただきましたが、次第に行き詰まりを感じるようになりました。

というのも、化粧品は肌を綺麗にするためにあるはずなのに、美容部員は皆、くすんだ肌をして、肌のトラブルをメイクで隠しているんです。

化粧品には界面活性剤という石油の一種や防腐剤など様々な物質も含まれていて、そうした矛盾に疑問を感じるようになりました。

 

・海外には病院や刑務所の中でもエステティックが施されているのに、当時日本では一流ホテルでも一切受け入れてもらえない時代だったので、エステティックの素晴らしさを広めるために身を投じようと決意したんです。

エステティック専門化粧品会社に転職すると、無我夢中で仕事をしていました。

 

・(二十一歳の時結婚した旦那さんが働かず遊び呆け朝の五時、六時から借金取りが来るようなどん底の生活の時の)私を支えたのがノートと読書でした。

三十代の頃から、自分の気持ちを整えるために、その時の感情や夢・目標をノートに書き留めていたんです。

そては誰から言われたわけでもありませんでしたが、文字にして思いを吐き出せずにはいられない心境だったのかもしれません。

 

・ノートには腹が立ったことや悔しかったことなど、赤裸々に綴ってあるんですけど、最後に必ず、「絶対よくなる、ありがとうございます」と書くように心掛けました。

また、夢や目標を大きな字で書いたり、「必ず成功する。どんどんよくなる」「私は綺麗。私は素晴らしい」といったプラス言葉を毎日書き続けていましたね。

 

・言葉やイメージの力って無限大です。言い続け、思い続け、やり続ければ夢は必ず実現するんですね。

私は二十代の頃から、抱き続けた夢はすべて叶えてきました。例えば、「日本を代表するプロになる」と二十歳の時に抱いた志は、四十代になって、ヌーヴェルエステティックという世界的なエステティシャン組織の日本代表に選ばれたことで叶いましたし、赤いベンツの車が欲しい、海の見える家に住みたいといったことまですべて実現しています。

 

・影響を受けたのは『生命の實相』という谷川雅春氏が書いた四十巻にもわたる本で、そこには「人生は思い描いた通りになる」「与えよ、されば与えられん」など、昔から聞かされているようなことが書かれていたんです。

でも、どん底にいた私の心に非常に響いてものすごく感動しました。

 

・四十代の頃、本を読んでいてふと「私には夢や目標はあるけど、志はあるのか」と考えたことがあります。その時に、「残された人生、百%多くの人のお役に立ちたい」と強烈な思いを抱いたんです。

ただ決意だけでまだなにも実現していません。でも志を思い定めたその瞬間から、不思議と物事が音を立てて変わっていったんです。

 

・いまでも本当に不思議なんですけど、仕事を辞めた途端に、全国各地のエステティックサロンから、顧問になってほしいとの依頼が引っ切りなしにくるようになったんです。

口コミで広まったのか、一週間に一社ずつ顧問先が増えていき、多い時には二十社の顧問を務めていました。

それまでは月収が手取りで二十五万円でしたが、一年もしないうちに二百万円になり、その後五百万円にまでなったのです。

 

・私の(多くの人の役に立ちたいという)思いがちょっとやそっと野茂ではなく、心の中で強烈に、絶対にそうありたいと誓っていたからかもしれません。

自分でも何が起こっているのか理解できず、不思議な感覚でしたが、おかげで主人の膨大な借金は十年かけて完済できました。

 

・たまたま手にした京セラ名誉会長・稲盛和夫さんの本の中で出逢ったのが、「動機善なりや、私心なかりしか」というひと言でした。

稲盛さんは第二電電(現・KDDI)を創業する際、何度もこの言葉を自分の胸に問いただしたそうです。

 

・それまでは社員が悪いと思って、社員を変えることに苦戦していたんですけど、私が変わればいいんだと。そう気が付くと社員も会社も変わっていきました。

 

・「人生もまた経営である」と学んで、本当にその通りだと感動しました。

家庭では夫が多額の借金をしてくるし、女遊びは激しかったりと苦労の連続でしたが、いまでは、主人は観音菩薩だったのだと思っています。

 

・私はこの命って自分のためにあるのではなくて、誰かの役に立つようにと神様が授けてくれたものだと考えています。そう捉えると、苦が苦ではなくなります。

 

・私は「人生は言葉のレストラン」ってよく社員に言っているんですけど、人生は自分が発したことや願っていることしか実現しないようになっています。

レストランに行って、うどんを注文したのにカレーが出てくることなんてないのと同じで、人生も自分の言った通りの世界が待っているんです。

だからこそ、夢を言い続け、思い続け、やり続けることが大事になってくる。

 

 

 

大塚笑子氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・朝の読書はとてもシンプルな読書なんです。四つの原則があって

一、毎日やる

二、皆でやる

三、好きな本でよい

四、ただ読むだけ

と、たったこれだけなんです。

しかし、その効果は大きく、生徒に集中力が付く、自信と思いやりの気持ちが芽生える、教師や生徒、両親の間の会話が増えるなど劇的ともいえる変化が見られるようになりました。

 

・いつ頃からか、(同僚の)林(公)先生と私は「朝の読書」の持つ素晴らしい力をもっと日本に広めたいと考えるようになっていました。

全校一斉の「朝の読書」を始めて五年後の一九九三年、本校の実践記録である『朝の読書の奇跡を生んだ』を出版すると、私たちはこの本をツールとして「朝の読書」の大切さを訴えるために全国四万校に向けて学校に葉書を出しました。

これらの活動には本当に多くの支援をいただきました。

 

・「朝の読書」を続ける上で困ったのは、やはりクラスの中には真面目に取り組まない子がいたことです。

「好きな本でよい」と言って漫画や参考書を読む、わざと居眠りをする。そういう態度私は絶対に許しませんでした。

そんな調子で就職したら、たちまち会社から解雇されてしまうからです。

当たり前のことを当たり前にできないで一番困るのは生徒たち自身でしょ?そのことはしっかり教育してきたつもりです。

 

・教師として荒れたクラスを立て直すのって大変なんです。生徒は皆、私が生徒たちにどう向き合うかをジッと見ていますから、「ここで負けたらこのクラスは終わりだ」という覚悟が欠かせません。

言葉は穏やかでも絶対に負けないし譲らない。そういう真剣な姿勢で子供たちに接してきましたが、そのようにしていると子供たちの本当の姿が見えてきますね。

 

・口に出さないだけで、子供たちは生徒たちの様々な事情を抱きながら生きています。会社の重役の子でしょっちゅう海外旅行に行っている子もいれば、授業料を滞納してビクビクしながら学校に来る子もいます。それが喧嘩やいじめの原因になっていることも多くあります。

だけど、そういう思いを溜め込んで授業を受けても頭に入っていかない。私はそのことに気づいた時、改めて「朝の読書」が必要だと思ったんです。

 

・「自分は大丈夫」とか「頑張ればどうにかなる」とか、その時に必要な本や言葉は一人ひとり皆違います。朝の十分間に本を読むことで、荒れていた心がいつの間にか穏やかになっていく。

私は教師生活を通して読書の力をしみじみと実感してきました。

 

・コンプレックスを抱いている子には励まし続けましたが、教師はやはり生徒に自信をつけさせなきゃいけないんです。

 

・読書はもちろん勉強を伴うのですが、それ以上に何が正しくて何が間違っているか教えてくれる「心の栄養」なんです。

本を先生として心の成長をさせていく。本はいざという時にその人を助けてくれる。

 

・私が体育大学に入った時、兄から「いま何を読んでいるの?」と聞かれたことがあります。「陸上の試合で忙しいから読んでいない」と答えたら怒り出しましたね。

「本は暇な時に読むものではない。苦しい時に読むんだ。自分で自分を高めてくれる」って、そう言うんです。

 

・私は読書で人生が変わったと心から感謝しています。

もし怪我も落ち込むこともなく、本も読まず、チヤホヤされているだけの人生が続いたら、いまのような生き方はできなかったでしょう。

 

・人生というのは何が起きても自分で立ち上がるしかありません。本は私にその力を与えてくれました。

 

・私が学んだ人生の法則は、やはりコツコツ続けることでしょうね。それは他人との比較ではなく、自分自身を育てて強くしていく道でもあります。

「天知る、地知る、我知る」という言葉があるそうですが、自分に嘘をつくことなく、これからもどこまでも自分に正直に生きていきたいと思っています。