ビジネス書籍や経営哲学や経営学などに関する話

ビジネス書籍や経営学や経営哲学など学んだ事を書いて行きます

山本栄一郎氏(大村益次郎研究家)・相澤孝夫氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

 

こんにちは

クローバーです^^

 

今回は山本栄一郎氏(大村益次郎研究家)・相澤孝夫氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集^^

 

【目次】

 

 

 

山本栄一郎氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

「維新の三傑」と言えば西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允とされている。これは明治新政府が維新の功労者に授けた恩賞「永世禄」を基準にしたものだろう。大名・公家を除いた一般藩士で、千石以上の恩賞を受けた人物は十一名。その中にあって農民出身なのは大村益次郎ただ一人であったことは特筆に値する。西郷をはじめ他の十名は、全人口の五%程度だったと言われる特権階級、つまり武士出身だったのだ。

 

・単に軍神として大村益次郎を見ているだけでは、その実像に迫ることはできない。なぜなら、大村は武士社会を終わらさえるきっかけをつくった人物でもあるからだ。

 

・大村益次郎は砲台の設置や、蒸気船の製造にも関与している。そのすべてを本から学んだだけで形にしていることにも驚かされるが、どんな仕事であろうと挑戦する姿勢は、まさに問答無用の仕事氏と呼ぶに相応しい。いかなる仕事であろうと、命じられたからにはとにかく一所懸命に取り組むことで、自ずと実力がついたといえよう。

 

・大村(益次郎)のように農民出身の人間が身分制度という枠を破って世に出るには、当時は勉強だけが唯一の道だった。緒方洪庵もまた低い身分から、勉強によって大阪の地で大先生になっている。ならば自分も緒方洪庵のような存在になりたいという思いが大村の胸の内にあったことは間違いないだろう。

 

・長州藩に戻って以降、大村益次郎にとって最も大きな仕事になったことと言えば、やはり日本の伝統的戦闘形式を西洋式に切り替えたことだろう。それまでは各家の主人の後に家来と非戦闘員がぞろぞろついていき、主人の号令一下で戦場を行き来するのが一般的であった。それを改め、各家の家来をひとまとめにした上で、全員に銃を持たせ、上官の命令に基づいて各人の判断で戦場を駆け回れるようにしたのである。

 

・江戸で私塾を開いた時点で大村益次郎の夢は叶っていたものの、そこで終わらなかったことが大村を歴史上の人物へと押し上げたことは間違いない。それまで教育者としての側面が強かった大村が一躍長州の軍事担当者として世に出たのだから運命とは分からないものだ。

 

・武士社会を終わらせる先鞭をつけたという点では、思想家でも革命家でもない大村益次郎が革命家以上の仕事をしたと言える。封建社会を終わらせ、近代国家への足掛かりをつくった功績は計り知れないものがある。大村は自分という枠を破っただけではなく、さらに時代という枠を破った人物でもあった。

 

・「常識を発達させよ。見聞を広くしなければならぬ。小さい考えでは世に立てん」

大村の才能は軍事参謀以外でも広く発揮された。医学、解剖学、翻訳、設計、兵学、数学、物理学、諜報・政治分析といった広範囲な分野で才能を開花させることで、個の力を磨き続けた大村益次郎。

この言葉はそんな大村の必死な努力を裏づけるものではなかろうか。

 

 

 

相澤孝夫氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

・相澤病院は、田舎から長野県松本市に出てきた祖父が「この地域を医療で守りなさい」と周りの支援を受けながら、千葉の大学で苦労して医学を学び、開業したんです。それが今から百十年前なんですね。

祖父は「病気で困っている人には、どんな人であっても手を差し伸べる」との信念を掲げ、病気になった地域の方を昼夜問わずいつでも診断していたといいます。

 

・父は「自分が患者さんにとって最後の砦だ」ということで、家族を別の場所に住まわせ、自分は病院内の一室に部屋を設えて寝泊まりしていました。父が入学式や卒業式に来た記憶はありません(笑)

 

・当院(相澤病院)の緊急医療体制も、私からすれば特別なことではなくて、困っている人が来たら、医師も看護師も事務員も皆で協力して助けるのは当たり前だろうという思いがあるんですね。

 

・僕が勤める大学病院に父が入院してきましてね。自分が医師でもありますから、父は患者さんの立場に立って「ここはおかしい」とか、大学病院の問題点に気がついて口を出すわけです。看護師さんからは「大変な患者だ」と言われていましたが、僕がその時に気づかされたのは、医師や病院の視点と患者さんの視点は全然違うんだなということです。

 

・父は医師として働きながら、研究を続けて博士号を取っているんですよ。僕も病院に勤めながら大学に通って博士号を取ったのですが、歴史は繰り返すというか、ああ、自分は父と同じ道を歩んでいる、人間には運命っていうものがあるんだなという思いを改めて深くしましたね。

 

・(ある経営勉強会に参加した時の)講師の先生から教えられたのは、リーダーの役割は上から強引に圧力をかけるのではなく、職員がやる気を持って自主的に働ける仕組みをつくり、生産性を効率よく上げていくこと。その組織に集まった人材の能力や考え方によってリーダーシップの発揮の仕方も違ってくるということです。

 

・(ある経営勉強会に参加した時に)特に印象に残っているのが、自分の強みと弱みを知り、リーダーとしてその強みはなるべく出さないほうがいいという教えです。要するに、リーダーは自分の弱みの周りの人たちから助けてもらえるようになりなさいと。質問用紙に従って、自分の強みと弱みを分析してもらうのですが、これは大変勉強になりました。

 

・(院内の改革にあたり)まず、一緒に病院を何とかよくしていくんだという志を同じくする仲間、同志をつくることから始めました。僕もまだ四十代で若かったこともあって、職員たちとお酒を飲みながら腹を割って自分の思い、志を話しました。

 

・(院内改革の同志、仲間をつくるには)一方的に思いを伝えるだけでは仲間になってくれません。「自分はこう考えている」「何年後には医師を何人、看護師を何人にしよう、医療はこうしよう」「一年目、二年目、三年目はこうなる」というような、しっかりとした将来像、計画を具体的に示し、皆これなら実現できると思ってもらうことが必要です。

 

・(院内の改革にあたって)最初の頃に力を入れて取り組んだのが、病院の雰囲気、職員の心を明るくすることでした。(中略)

経営がうまくいかない時って、どうしても全体の雰囲気が悪くなってしまうでしょう?職員が明るくなければ、患者さんを明るくすることもできません。

 

・やっぱり人の心と形・外部環境は関係していて、その一方の改善に取り組んでもうまくいかないという思いがありました。実際、心と環境の両面を明るくしていくことによって、職員の気持ちも前向きになっていきました。

 

・人を動かし組織をよくしていくためには、とにかく年齢とか役職ではなく、職員の頑張りに応じた処遇をすることがものすごく大事だと思ったんですよ。それは、経営トップが職員一人ひとりの頑張りをしっかり見ているというメッセージにもなります。

 

・枠を破るためには、これまでの歴史や文化は大切にしながらも、いままで当たり前にやっていたことが、間違っているのかもしれないと考えることが重要だと思うんですね。長く続けてきたことが正しい、よいとは限らない。

そしてその際には、ゼロベース、物事の本質から考え始めるということが一番大事です。

 

・人間はあらゆる臓器が一緒になって働いている存在であり、心や感情があれば家族や会社もある、そういう全体的視点を持って患者さんを診ていく。病気に寄り添うのではなく、「人に寄り添う医療」というのが極めて大事なんじゃないかと思うんです。