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クローバーです^^
今回は高山良二氏(認定NPO法人国際地雷処理・地域復興支援会長理事)の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^
【目次】
高山良二氏(認定NPO法人国際地雷処理・地域復興支援会長理事)の人間学やビジネスなどの名言・格言集
・(カンボジアの地雷撤去や不発弾処理などの)責任論を言い出せば切りがありません。それよりも現状を何とかするために、誰かが動くことのほうが重要です。私はたまたま現地で活動する機会があって、これは見て見ぬ振りはできないと思ったから動いたまでなんです。
・(地雷や不発弾などが残るカンボジアでは)小さな子供が道端に転がっている不発弾で遊んでいて犠牲になることもしょっちゅうあって、その度にやり切れん気持ちになりました。
・カンボジアでの任務を終えて帰る時は、大きなプレッシャーから解放された喜びもありましたが、本当にこんな中途半端な状態で帰っていいのかという思いのほうが強かった。私たちを乗せた自衛隊機が上昇し、椰子の林がどんどん遠のいていくのを見下ろしながら、俺は絶対ここへ帰って来て、不発弾処理や地雷活動を継続するぞと誓いました。
・(自衛隊退官後わずか3日でカンボジアに渡る前に、奥さんに)「人生最後の仕事がやりたい。食べ物がなくなったら言え。その時は帰国して食べさせるので心配するな」と押し通しましてね(笑)。結局妻は諦めて、私をカンボジアに行かせてくれました。
・(カンボジアの地雷撤去ができるようになり)その時にCMAC(カンボジア地雷対策センター)の長官から「どの地域に入りたいですか?」と聞かれて、「一番地雷が多くて、開発に困っている場所に入らせてください」と答えたら、「それじゃ、タイ国境に近いタサエンです。」と言われました。タサエンは内戦の最後の激戦地です。すぐに調査に向かいましたが、最悪の所に入れてもらったから嬉しかった。その心境はなかなか人には理解してもらえないと思いますが。
・物事を判断する時、一般的に周りの声とか、空気に流されてしまうことが多いじゃないですか。「こんなことを言ったら、ボロカスに攻撃されるんじゃないか」とかね。
しかし私は、本質さえ押さえておったら、判断を間違えることはないと思うんです。
・ずっとやってこられたコツは何かというと、現場を信じることですよ。野球の監督が「こいつと心中だ」と思ってエースに最後まで投げさせるのと一緒で、信じるに足る人を選んでその人に任せ切る。伸びる組織はそこがキーワードじゃないかと思います。
・私は「本質」っていう言葉をよく使うんです。「何のために」ということを外さなければ、そんなに狂うもんじゃない。
そこを外して手段ばっかり追いかけるから、見当はずれなほうに行ってしまうだと。カンボジアの活動(地雷撤去や不発弾処理など)で大事なのも「何のために」という本質。そこを外さなかったら、支援の形などどうだってええんです。そこを持っとり顔していただきたいと思います。
・最近は日本でも支援についての関心が高まってきていますが、ちょっと聞きかじっただけで勘違いされる方も多いようです。例えば甘やかし支援はよくないと言われるんですが、支援というのはそんなふうに、よい・悪いで簡単に割り切れるような浅いものじゃないんです。
・自衛隊にいた時の訓辞に「苦楽を共にし」というものがありました。支援先の人々と一緒に生活をし、一緒に考えることで信頼関係が構築されるんだと。それから「堅忍持久」、辛さを耐え、我慢強く持ち堪えよ。「没我支援」、我を殺して相手を生かせと。私自身も一番下っ端の頃からそういうことを徹底してやってきました。
ですから、橋を架ける時に柱を立てる暇がなくて、自分たちが川の中で人柱になって支えたこともあります。過酷な作業にも耐え忍んで、現地の人々に貢献してきたわけです。そういう日本の精神を表した言葉を支えに頑張ってきましたが、いまはほとんどの人がそんな信条は聞いたこともないでしょう。
・地雷を爆破処理する時も、だいたい三人くらいでやるんですけど、自分が先に逃げることは絶対にしません。自衛隊の指揮官は先に部下を逃がしておいて、自分は最後に逃げます。そういう素晴らしい価値観が、日本の中に絶対あったはずなんですが、残念ながらいまは眠ってしまったんかなという気がしてならんのです。
・よく命が一番大事だって言われるけども、私は違うと思います。命よりも大事なもんがある。それはやっぱり好きなことをやるということです。それが命より上だと思いますよ。もちろん命を軽々しく思っているわけじゃない。でも、命を落としたとしてもやりたいことをやる。世間から見たら、最悪のアホでしょうけどね(笑)。
・私はPKOの体験で、それまで培ってきた人生観や価値観がすべてひっくり返されてしまいました。その時から、これから自分の命を何に使ったら一番いいのか、ということに思いを致すようになったんです。
・カンボジアに再び赴いたのは五十五歳の時でしたが、濁流の中に飛び込むような無謀な挑戦で、正直、えらいとこまで来てしまったなと思ったこともあります。
向こう岸まで泳ぎ切る自信もないし、元の場所に帰れないし、どうしたらええんじゃろうかと。
けれどもそういう中でも、自分にできることを一つひとつやっていくうちに、向こう岸まで辿り着けるかどうかはあまり考えなくなりました。
・いまは、それまでの五十五年間の人生は本番を迎えるための練習だったと思うくらいに、充実しています。このまま暴れに暴れて、最後は「さいなら」って煙になればええんです(笑)