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船橋真俊氏・たむらあやこ氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集

 

こんにちは

クローバーです^^

 

今回は船橋真俊氏・たむらあやこ氏の人間学やビジネスなどの名言・格言集の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^

 

【目次】

 

 

 

船橋真俊氏名言・格言集

・食糧の質の違い、農業のあり方が、私たちが直面している環境汚染や健康問題にも影響しているのではないかという仮説、そしてそを解決するにはどうすればよいかという問いから出発したのが協生農法なんですね。

 

・確かにいまの農業は私たちの生活を豊かにしてくれていましたが、反面、人間活動を続けるために環境問題を引き起こしてしまうという状態にあるんです。

 

・世間では初めから昆虫を益虫と害虫に分けてしまっていますが、昆虫にもいろいろ役割があって、その時の状況で益虫にも害虫にもなります。ですから、本当は益虫も害虫もないんです。

 

・従来の農業では一種類の作物を大事に育て、植えた苗をきちんと収穫するために化学肥料や農薬を使って管理しますが、協生農法では、雑草や木、昆虫、動物などを総合的に活用し、生態系全体の働きによって植物を育て、収穫する方法を採っているのです。

 

・自然状態で生きている植物や生物と、籠などで人間が飼っている状態のものでは、艶というか、輝きが違うということに気づいたんですよ。特に草むらの生物は輝いているように感じ、私はその自然の中でみられる命の輝きが非常に好きだったんです。

 

・近くの川が全部ドブ川になっていって、自分は将来、臭いヘドロの中で生きていくしかないのだろうなと、暗澹たる気持ちで小学校に通っていたのを覚えています。

それも後に環境問題や健康問題を解決したいというバッググラウンドの一つになりました。

 

・フランスの大学にも留学して物理を学び、後に獣医師の資格まで取ったのですが、生命の本質に切り込めないもどかしさが非常にあり、学生時代の私は知的にはかなり荒れていましたね。

 

・高岡(英夫)先生の運動科学は、人間や動物たちのあらゆる運動を主観的なもの、客観的なものを含め統合的に説明しようとする学問体系で、私は十九歳の時に本屋で高岡先生の本と出会い、全部立ち読みしたにも関わらず、さらに買って帰るほど非常に衝撃を受けましたね。

 

・他の農法と比較しながら、実験に取り組んでいった結果、協生農法では六月で収穫が上がり始め、一年半ほどで売り上げにして伝統農法の約四十倍から百五十倍の生産性が上がり、一年間で現地(西アフリカ)の平均国民所得の約二十倍もの売り上げが上がったんです。

 

・協生農法では、砂漠状態から植生遷移を経て、最終的に小さな苔から草、光を好む陽樹、その陽樹の陰で育つ陰樹といったすべての植生を一年で定着することに成功しました。

農業生産と同時に砂漠の緑化もできるというのは、少なくとも乾燥地帯の農業ではこれまでにないことでした。

 

・僕が子供の頃に感じていたのは、極端にいえば、この世界に生きていないものはないんじゃないかと思うくらい、生命に満ち溢れた世界だったんです。それが大人になるに従い、機械論的な学問、生命を脅かす環境問題や健康問題といったいろいろなネガティブなものを経験していくようになって疑問が生じていった。

 

・技術的に意義のあることを持続していくためには、予めそれが持つよい面と悪い面を考えておかなければ危ないんですね。リスクを考えないで内発力だけを高めても行き詰ると思うのです。

 

・内発力といっても、命に対する危機感・繊細さと意志の強さを両立させ、覚悟をもって目標実現へ至るトレーニングが構築できるかが大事なんですね。

 

・僕は物事には「具体力」と「本質力」があると考えてきました。「具体力」は実際に目に見える成果が挙がることを意味しますが、協生農法でも、なかなか周囲に理解されないなど、現実的には三歩進んで二歩下がることの連続なんですね。

それでも努力した分だけ「本質力」は五歩進んでいるんですよ。

 

・農業生産と環境問題・健康問題の相克を根本的に解消することで、文明の持続可能性を高め、結果として人間や動植物を含めたすべての生物の最大多数の苦しみを減らしていくのが協生農法だと考えています。

 

 

 

たむらあやこ氏の名言・格言集

・この病気(ギランバレー症候群)に罹ると神経が一遍に、しかも無秩序に破壊されてしまいます。私は呼吸筋や運動神経は無事でしたけど、人によっては症状が出た途端に意識を失って、誰かに気づかれることもなく亡くなる方も多いのではないかという恐ろしい病気なんです。

 

・もともと描きたいという気持ちが昔から強くて、中学生の頃にはすでに趣味で漫画を描いていたんです。

でも、当時はプロになろうだなんて気持ちは全然なかったんですけど、病後(22歳の時ギランバレー症候群に罹る)にちょっと身体に余裕が出てきだした頃には、もう描きたくて描きたくて、少しずつペンを握るようになっていきましたね。

 

・これまでに四冊の単行本を出させていただいておきながら言うのもなんですが、いつになったら昔(22歳の時に罹ったギランバレー症候群より前)のような絵が描けるようになるのだろうかって、ずっと悔しい思いをしながら描いているんですよ。

 

・それ(プロの漫画家の道に進むこと)は全然考えていなかったですね。というのも、父親のギャンブル癖が祟って家の借金がすごくて、手に職をつけて働かないといけない状況だったんです。

それで紆余曲折の末、看護師の道に進むことになりました。

 

・T君(競馬の騎手だったが落馬し脳障害を負い、たむらさんと同じ病院に入院していた方)との出会いは、それまで自分のために絵や漫画を描くことしか考えていなかった私の姿勢を大きく変えました。

誰かの役に立てることの感動とともに、絵には大きな力があると初めて教えられたんです。

人のためになれるような絵が描ける人間になりたいと心からそう思いましたね。

 

・私は二十二歳で病気(ギランバレー症候群)になった時、いままでなんで周りの人を大事にしてこなかったか、どれだけ自分中心で生きてきたかと猛省しました。ここまでくることができたのは、自分の力では何もできなくなった私を多くの方々が必死に支えてくださったおかげです。

 

・私たちは誰にも迷惑をかけないで一人で生きていると思ってますけど、とんでもない。本当は自分一人の力では着る洋服一枚すらつくれない。

そういう当たり前のことも大病(ギランバレー症候群)したからこそ気づけたのだと思っています。

 

・いま考えると(ギャンブル癖で借金をつくっていた)父のおかげで病気を乗り越えられたと思うこともあるんです。小さい時から我が家には怖い顔をした借金取りが来ていて「人生にはこういうこともあるんだな」と子供心に感じていました。耐性というのか、心の免疫ができていたのかなと。

 

・私が漫画に打ち込む内発力は、もともと好きだからということ、(父親がギャンブルで作った)借金を返さなくてはいけないということも当然ありますけど、私の(ギランバレー症候群からの)回復を信じて待ち続けてくれた家族や友達、周囲の人々に恩返ししたいという強い思いが大きいんです。