こんにちは
クローバーです^^
今回は竹田正俊氏(クロスエフェクト社長)・吉田佳代氏(梅乃宿酒造社長)の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^
【目次】
竹田正俊氏(クロスエフェクト社長)の人間学やビジネスなどの名言・格言集
・父が京都で三洋電機の下請けの町工場を経営していて、経営者としての後ろ姿を見て育ったので、いつの頃からか自分も会社を興したいと夢を抱くようになりました。
父の後を継ぐのは当然という雰囲気もあったんですけど、立命館大学を卒業した一九九六から四年間、アメリカのシリコンバレーに留学したことで、価値観がガラッと変わりました。
・父の事業は典型的な労働集約型産業で大量生産を行っていたんですけど、これからの時代は知識や経験を基に新しいものを生み出す「開発」の需要が高まると痛感したんです。
・(二人の仲間と法人化した後に)たまたま営業に行った先の社長から「そんな手当たり次第の経営をしていたら必ず会社を潰す」と二時間説教を受けましてね。最上インクスという会社の鈴木三朗社長(当時)ですが、私がその方の息子さんと同じ二十七歳だと分かると、「ぶつぶつ言わずに息子と二人でドラッカーの経営哲学を勉強しろ」と、半ば強制的にドラッカーの勉強会を始めることになったんです。
・父の口癖は「寄らば大樹の陰」。大木の下にいれば雨風を凌ぐことができ、口を開けていれば上から実も降ってきて、台風が来ても絶対に倒れないから安心だと。実際、父の会社は売上高の八割を三洋電機に依存していました。
一方、ドラッカーは「成果をあげるには貢献に焦点を合わさなければならない」と言っています。
「事業の目的は、顧客の創造である」という言葉は有名ですけど、ビジネスは依存ではなく、大勢のお客様に貢献するために行うものだと説いています。
・お客様に貢献するということは多くの人から必要とされる会社になるということです。必要とされていれば、自然とお客様は増えるし売り上げも上がります。逆に必要とされない会社は淘汰されていく。これは真理だと思います。
・(会社を経営していた父が交通事故で亡くなり、父の会社は存続困難だと判断し廃業)残務整理にはその後一年半くらいかかりましたが、おかげさまで社会や人生についての勉強をさせてもらった気がします。これ以上辛く大変なことは二度とない。いま人生のどん底にいるんだからこれから這い上がればいいのだと自分を奮い立たせることができましたね。いまでは父が最期に遺した最高のプレゼントだったと感謝しています。
・父の会社を廃業させた経験から、どんな困難に対しても腹を据えて向き合える力がついてきたことは幸いでした。
・私が常に意識しているのが、「組織の中に成果は存在しない。すべての成果は組織の外にある」というドラッカーの言葉です。
実は初めてこの言葉を聞いた時、あまり意味が分からなかったんです。それまで成果とは当然、組織の中、つまり売り上げ、利益、社員の成長、技術力、顧客数などにあると考えていました。
組織の成果が外にあることを、ドラッカーのは分かりやすく人体に譬えて説明しています。心臓、肺、腸などの臓器は皆、自分のためではなく体のために二四時間三六五日絶えず働き続けている。一方、がん細胞は自分が大きくなることしか考えず、様々な部分に転移して体に悪影響を与え、最終的には体から切除されてしまう、と。
自分の利益ばかり追求している組織はがん細胞と同じで、最後は社会から排除されてしまうという鋭い指摘は衝撃でした。
・私のビジネス人生を振り返っても、節目節目でドラッカーの経営哲学に助けられていることを実感します。マネジメントの基本と原則を学んでいたから道を外すことも大きな事故を起こすこともなく、今日まで歩み続けることができました。
・メディカル事業は人の命を救う非常に社会貢献性の高い仕事です。私たちの小さな会社でも人命救助の一端を担っている責任感を忘れてはいけません。
使命という言葉は「命を使う」と書きますが、この命を使うことこそ生きる意義であり、目的なのでしょう。もちろん人によって様々な使いかたはあるのでしょうが、人間に生まれた以上は「人のために命を使う」生き方をしたいと私は思います。
吉田佳代氏(梅乃宿酒造社長)の人間学やビジネスなどの名言・格言集
・私の代になって新たに始めたことの一つに、若い人たち、特に大学生にもっと日本酒に親しんでもらえるための取り組みがあります。
若い方があまり日本酒を飲まなくなった理由として「値段が高い」「味がよくわからない」などいろいろなことが挙げられると思うんですが、本当においしい日本酒を飲んだことがないからではないかと私は考えています。
・おいしい日本酒を最初に口にしてもらうにはどうしたらいいのか、考えた末に始めたのが大学生に集まってもらって日本酒の勉強会を開くことでした。ただ「無料で試飲できます」とアピールするだけでは怪しまれるだけです。そこで細い伝手を頼って奈良女子大学や京都大学などの先生を紹介してもらって、授業中に日本酒の勉強会を組み込んでいただくことにしたんです。
・(梅乃宿酒造の先代の長女ではあるが)いざ大学で就職を決める段になると最初から家業に入るよりもまず自分の実力を試したいと思う気持ちが強くなり、商社に入社しました。
配属されたのが内勤中の内勤である総務でした。本当は営業の第一線で働きたかったのでこれは本当にショックでしたね。だけど、その時の上司に「総務というのは社内の営業なんや。この営業は社外を相手するより難しいよ」と言われて、俄然やる気になったんです。
・(希望の営業職ではなく配属された総務で)給与計算も福利厚生も、もっと言えば電球の交換、コピー用紙の補充も、社員が気持ちよく働ける環境をつくるのが総務の仕事です。それができなかったら皆を不安な思いにさせてしまう。
そのことを強く実感して、「これも営業力を磨くチャンス」と思って環境づくりに力を尽くしたことが、いまの仕事にとても役立っています。私が社長としてできることの一つは決断すること、もう一つは皆が気持ちよく働ける環境をつくることだと思っていますから。
・(家業の梅乃宿酒造に)入社三年目でしたけど、ある研修会に参加した時、講師の先生が「リーダーは、”決めないこと”が一番の罪悪だ」とおっしゃるのを聞いて、ハッとしました。その時の私はリーダーという立場でありませんでしたが、私が(家業を)「継ぐ」とも「継がない」とも意思を明確にしていないことで、間接的に周りに迷惑をかけていることに気づかされたんです。継か継がないかで周りの人が私にどう向き合うかが変わってくるわけですから。
・(梅乃宿酒造の先代社長の父に「会社を継ぎたい」と伝えた時に)父から帰ってきた言葉が「おまえに能力がなかったら、継がさんかもしれんけど、悪いと思ってくれるなよ」というものでした。その一言を聞いた時、私は涙が溢れて仕方がありませんでしたね。悔しいとか悲しいとかではなく、すごく嬉しくて・・・。
父は私が大好きなんです。その大好きな娘がお願いしてきたら、かなえてあげたいと思いますよね。でも父はそれ以上に会社に対する責任を重視した。そのことを強く感じたんです。「よし、父に認めてもらえるように頑張ろう」って思って奮起したのはこの時です。
・最初は周囲からあれこれ言われたとしても、それが間違っているとは限らない。だからこそ、恐れずにチャレンジを続けなくてはいけないと皆にも伝えているんです。
・先代は自分が指示をして皆を引っ張っていく昔ながらのリーダーです。しかし、いま社員の平均年齢は三四、五歳。その若い社員に「見て体で覚えろ」と言っても無理ですよね。そこでいかに仕事を仕組化、見える化するかに力を注いできました。
・私たちの経営理念に「相共に夢を語り、夢を育み、その夢の実現に精励します」という一文があるんです。まだまだ夢を語れるまで入っていませんが、少なくとも「会社をどうするのか」という一つの目標に向かって、「こうしたらいいんじゃないか」と言い合える環境はできつつあると感じています。
・(仕事と家庭を両立するため)いまは朝四時半に起きてオンラインで英会話を学び、六時に子供を起こして朝ご飯を食べさせ、七時には保育園に送って八時前に出社。夕方六時過ぎに会社を出て家でご飯をつくり、子供を寝かしつけた後、十一時、十二時に床に就くという生活です。
「ようやってんな」と言われますけど、社長業もしたい、お母さんにもなりたい、主婦業もしたい、英会話も習いたい。これらはすべて自分で決めたことなので頑張れるのです。
・私は「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と見たいだけ」という言葉が好きなんです。「何であんなことをしたんやろう」と後悔しても、その事実は変えることができない。そうであれば、それを受け入れて、今後どうするかを考えて、自分が動くしかありません。「あの人、何でいつもああなんやろう」と思っても、その人は変わりません。自分の態度を変えるしかないんです。
・実行を大切にしてきたという意味では「やらなかった後悔より、やった後悔」「何事も一所懸命」というのが私の座右の銘です。この二つはいまも仕事やプライベートの指針として生かしています。