こんにちは
クローバーです^^
今回は白駒妃登美氏(博多の歴女)・井口潔氏(九州大学名誉教授)の人間学やビジネスなどの名言・格言集です^^
【目次】
白駒妃登美氏(博多の歴女)の人間学やビジネスなどの名言・格言集
・戦争末期で日本中の都市が空爆されてレールも破壊されてるのに、驚くことに日本人はそれをすぐに復旧したために、列車を乗り継いで相模原まで行くことができた。焼け野原を見た時に希望しか湧かなかった。そんなこともお話しくださいましたね。
「(井口潔)先生、その希望ってどういう意味ですか」と私がお尋ねしたら「何があってもこの美しい国を守るんだという確固たる思いがあった。そのためにやるべきことは分かっている。それを希望というんだよ」と。そう言われてみると、希望の淵で微かな光を見つけるのが希望の本当の意味なのかと心から感動したことを、昨日のことのように覚えています。
・井口(潔)先生から素読と音読は違うんだ、素読とは、学校の教科書を音読するのとは違って、古典の名文であることが大事なんだ、と教えていただいたことがあります。教材そのものが道徳的学びとなっている名文を、師匠の声に続いて大きな声を出して読むことで聴覚も視覚も五感がフル稼働するわけですから、感性を育むうえで素読はとても有効な方法ではないかという先生のお考えに、私も全く同感です。
・私はある時、井口(潔)先生に「幼少期に感受性を育む教育を十分受けてこなかった人が大人になって感性を育みたいと思った時、どうしたらいいですか。それとも、大人になってからでは手遅れでしょうか」と質問しました。すると、先生はこうおっしゃったんです。「手遅れなどということは全くない。人間学は気が付いた時にいつでも学べるものです。人間学を学び感性を豊かにするには長い間読み継がれてきた古典に触れるのが最も望ましいけれども、大切なのは目的を持たず、結果を求めず、丁寧に読むことです」
・「人の心を動かせるリーダーになりたい」というような特定の目的を持って読めば知識を得るための読書になってしまう。そうではなく目的を手放して読むと心を通わせるような気持ちで読むと、それはストレートに魂に響いて感性を育むことができる、ということなのでしょうね。
・青年期には人間の生き方を教えるような書物に親しみ、いかに生きるべきかを考え、生き方を選択して志を立てることが大切だと私は思います。年齢に限らず人間は人生を深く見つめるようになった時がチャンスです。そういう時にいい本に出合う。六十歳を前にカレルと出合い、人生が大きく変わった私が何よりの証拠です(笑)。
・日本人は何事につけ、あまりに結果を急ぎ過ぎていて、それは教育や読書にも言えるように思うんです。人間は促成栽培される野菜とは違うんですね。育てるには時間がかかるのが当たり前なのに、そういうことを意識する人が少なくなりました。
・いまの世の中は何でもプラスばかり偏っているのではないでしょうか。読書も仕事や勉強の役に立つもの、自分の夢に向かって背中を押してくれるような本ばかりが注目されていますが、日本人が古来、求めてきたのは中庸なんですね、生きていれば、喜びものあれば悲しみもある。喜びだけで人生が成り立っているわけではないのに、喜びだけを追い求めようとするのは不自然ですし、人間のエゴだと思うんです。
・私が小さい頃に読んだ本の中にも、これが本当に児童書なのだろうかと思うほど不安に押し潰されそうになるもの、深い悲しみを湛えたものがありました。そういう本を、子供は進んで読もうとしないし、現代では親も買い与えようとはしません。でも、人生には悲しみや避けて通れないものがあると知ることはすごく大事で、そういう本を読む中から本当の生きる力が生まれることもあるように思うんです。
・私は小さい頃から多くの伝記を読んできました。随分後になってから知ったのですが、ある方が松下幸之助さんに「人を育てるために真っ先にすべきことは何ですか」と質問した時、松下さんは一瞬のためらいもなく「伝記を読ませることです」とお答えになったそうです。
・心が生き続けるには私たちが文化や歴史、伝統を伝承することが大切だと思います。もう一つは、やはり書物を通じて先日たちと魂が繋がることで私たちの生きる力になる。そう考えると、読書を通してただ知識を得るだけでは、あまりにも浅くてもったいない気がします。
・読書は、私たちは豊かな教養を与えてくれると同時に、感性を育む力を与えてくれます。つまり心に火をつける力が読書にはあるんです。せっかく本を読むなら、そこまで行きたいですね。
・教育や読書に文字通り命懸けで取り組んできた先人がいたことを、私たちは忘れてはいけないと考えさせられました。教育というものは、その内容や方法論ももちろん大切ですが、教える人の感化力、魂と魂の響き合いが何よりも大切なのではないでしょうか。
井口潔氏(九州大学名誉教授)の人間学やビジネスなどの名言・格言集
・ご存じのように日本は戦後、アメリカの占領政策を経て昭和二十七年に独立しました。ところが、占領期は仕方がなかったとしても、アメリカから押しつけられた教育に問題があればきちんと正すべきなのに、日本は全くそれをしなかった。それどころか、江戸時代から続く古典の素読などの伝統的な教育を捨て去ってしまったんです。日本人が人間として不可欠な「自己抑制の機能」を失い始めたのはそこからです。
・(アレキシス・)カレル(ノーベル医学生理学賞受賞者)は熱心なクリスチャンですけれども、人間が長く繫栄を続けるには三つの原則があると言っています。一つ目が「個体の保存」、二つ目は「種の繁殖」、三つ目は「精神の発達」です。
・子供たちは六歳から藩校や寺子屋に通い、「意味は分からなくてもいい。いまに分かる」という師匠の指導のもとで、『小学』や『論語』『大学』といった優れた古典を繰り返し繰り返し素読しました。まさに読書尚友で、古人の教えをしっかりと体に浸透させていったんですね。
これは医学的には「パターン認識」と言われるものです。幼少期に教えられた道徳的な教えは、このパターン認識によって感性脳(魂)に記憶され、その人の人格形成に影響を与えていきます。
・いわゆる「ゆとり教育」の趣旨は詰め込み主義をやめて、子供が自ら学ぶ能動的学習を目指したものです。しかし、幼少期の子供たちの脳はそのような構造にはなっていません。論理的思考ができるのは十歳から十五歳にかけてであり、幼い子供たちに学習することの意味を十分に考えさせるといったこと自体がナンセンスだというべきでしょう。
・私は長年の生物学の研究を通して、科学の光を伝統に当てると、伝統が持っている珠玉のような宝が発見できることを度々体験してきました。素読を中心とした江戸期の教育もそうですが、伝統は魂を持っているんです。魂の叫びは人を動かします。論理の世界だけでは人は動きません。伝統教育は感性認識、魂の認識。だから強いんです。
・読書も本来は感性を育むためのものです。感性こそが生きる力です。
・青年期には人生の生き方を教えるような書物に親しみ、いかに生きるべきかを考え、生き方を選択して志を立てることが大切だと私は思います。年齢に限らず人間は人生を深く見つめるようになった時がチャンスです。そういう時にいい本に出合う。六十歳を前に(アレキシス・)カレルと出合い、人生が大きく変わった私が何よりの証拠です(笑)。
・特に古典の素読を中心とする江戸期の伝統的な教育は、私の言うメタ・ルネッサンスそのものですから、ここにもう一度光を当てることは、とても大きな意味があると思っています。